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人の内面には、美しい世界が広がっている。私がNVCを学びたい理由。
人の本性というものは、未知のものである。
性善説・性悪説とあるように、その解釈もわかれている。
ふとした時に、邪な気持ち(妬みや嫉妬など)がわくことは、誰にでもあるだろう。
でも一方で、優しさや愛というものも持ち合わせている。
私は、いまNVC※を学んでいる。
※NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とは、1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱された、自分の内と外に平和をつくるプロセスです。(NVC Japan)
その中で、ニーズと手段の違いということを学んだ。
・人間誰もが、「ニーズ」を満たすために「行動(その人にとって、最適な 手段を選ぶ)」をしている
・「ニーズ」は、人にとって共通のものなので、お互いに「理解」することができる。
・「行動」の段階で、「対立」が発生する。
というのだ。
自分にとってムカつく相手や、たとえ犯罪者と呼ばれる人であっても、「ニーズ」については、理解することができる。
「認めて欲しい」「安全が欲しい」といったものが、ニーズだ。
そして、そのニーズを満たす(叶える)ために、「相手を傷つけてしまう」。これが「行動」である。
行動は、これまでの「人生経験の蓄積」やその人のもつ「能力」に依存する。
思いつく、そして自分ができる最適な手段を選択する。
この手段は、人によって異なる。だから、対立が発生するのだ。
人は、ニーズから繋がることができる。もっと、分かり合える。
それが、私がNVCを学ぶ目的だ。
どんな相手であれ、ニーズを観るようにしている。自分に対して、イヤな思いをさせる相手がいたとして、「なぜ、こんな辛辣な言葉をぶつけてくるのか。この人は、どんなニーズを満たそうとしているのか」
承認されたい。傷つきたくない。
そんな声も聞こえてくる。
でも、それが表に出せない。言えないことで、対立してしまう。
NVCで大切なのは、自分のニーズ・相手のニーズを知ること。
そして、お互いにそれを伝えて、理解しあうことだ。
(とても勇気もいるし、相手もいるので簡単ではない)
でも、理解しあえれば、そのあとの手段は、お互いが満たせる方法を考えればよいのだ。人には、その力が備わっている。
NVCを提唱したローゼンバーグは、紛争地域(両者が戦争で殺し合っている部族同士)や加害者と被害者間(傷つけた人と傷つけられた人やその家族)で、両者のニーズを開示することで、相互理解と互いが満たされる方法を見つけてきた。
自分の大切な人を傷つけられたり、殺されたりして、怒りがわかない人はいないだろう。そして、報復したいと思う。
泣き寝入りしたくない。
相手が死刑になることで、心の傷は軽くなるのだろうか。
いや、それより、傷づいた痛みや悲しみを、きちんとわかってほしい。という気持ち=死刑の執行になっているように思う。
ウクライナで戦争がはじまり、身近なところでいうと、タレントの性加害事件などもあり、人の分断・対立による争いが絶えない。
もっと、平和な世の中であってほしい。
そして、そう思っているだけではなく、自分で創り出していきたい。
半径1メートルの世界からでも。
そのために、NVCを学んでいきたいと思う。
マスターナンバー33は、愛の人だから
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