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『物乞い』について


こんにちは!副代表の松野です。

3月末に帰国してからというもの、DREAM-Hackもプライベートも忙しく、最高に充実しています✌︎
ただ、最近の平均睡眠時間が僕にとっては少なすぎて、、。

そして4月中にサシでご飯に行く予定が珍しく9件もあって、とにかく友達と飲み明かしていた毎日を思い出します🙄


まぁそんな話は置いておいて、
今回のテーマは『物乞いについて』です。

途上国に行ったことのある方なら、物乞いを迫ってくる人に出会った方は多いのではないでしょうか。
国際協力系サークル・学生団体やNPO・NGO主催のスタディーツアーに参加したことがあったり、国際協力のフィールドで活動する方なら、尚更身近なトピックかもしれません。


僕も国際協力サークルに所属していた2年前にスタディーツアーでネパールに訪問した際、ミーティングで先輩たちに「物乞いを迫られてもお金をあげたらいけないよ」と指示されました。
理由は、「一度あげるとしつこく付いてくる可能性があり、危険も伴うから」といった感じだったと思います。


物乞いにはたくさんのタイプあります。

特に外見的特徴は無いが、お金に困窮している老人。
身体的障がいがあり、自らそれを見せる大人。
障がいを持つ子どもを見せる親。
ボロボロの衣類を身にまとった泥だらけの子ども。

他にもいろんな人がいます。


そして、基本的にはそのような物乞いに対する立場として大きく3つに別れます。

①あげるべき派

「持てるものが持たざる者に対して分け与えるという行動は人として当然」
という思想がベースにあって、そこから細かく派生した主張が大部分を占めていると思います。

また、宗教や文化的な価値観から、当然あげるべきという考えが染みついている人たちも世界には多くいます。


②あげないべき派

「個人、ひいては国家の自立・成長を阻害してしまう」
「対象となる母集団が大き過ぎてキリがない」
これらの考えが大部分を占めるのではないかと思います。

また、あげるべき派と同様に宗教や文化てきな価値観から、当然あげないという考えが染みついている人たちも世界には多くいます。


③中立派

大きく中立派と括りましたが、これは更に2つに細分化されると考えています。

「気分型」と「混同型」です。

③-ⅰ 気分型
何も考えていないか熟考した上かどうかは問わず、その時の気分によって左右する人です。

③-ⅱ 混同型
①と②の考えの上で、自分なりのルールを作って、その時の状況と照らし合わせて判断する人です。



勿論正解がないことは前提にした上で僕の立場をお話しさせてもらうと、僕は③中立派の混同型です。

というのも、このテーマに関して、○○すべきという考えはなく、本当にどちらでもいいと思っています。

ただ、困っている人がいてそれを助けられる状況なら助けたいという気持ちは基本的に持っているので、その意味ではあげるべき派に近いかもしれませんが、キリがないというのもよくわかります。

僕は自分の生活ができなくなるほど自己犠牲をする必要は無いと思うので、日本円にして100円以下ぐらいの紙幣やコインは惜しみなくあげるようにしていて、それが無い時は断るようにしています。
集めたお金を上で吸い上げたり、血縁関係のない赤ちゃんをどこかから連れてきて同情を買うビジネス的な物乞いも存在するので、それらに引っかかってしまったとしても気にならない程度の金額設定にしています。
そして、誰かと一緒に行動している時も基本的にはあげないようにしています。
本当にどちらでもいいと考えているし、あくまで考え方の問題にも関わらず、僕があげて一緒にいる人あげなかったらその人はケチとか優しくないとか周りに思われるのは違うからです。
あげないといけない空気を作ってしまうのも嫌です。

これが物乞いに対する僕のルールです。


と、ここまで書いておいてなんなんですが、
今回いちばんお伝えしたいことは、実はマイルールではありません。

お伝えしたいのは、②あげないべき派の「個人ひいては国の自立を阻害してしまう」という主張に対する僕の考えです。あくまで、正解ではなく僕の考えです。

この主張をする人の意見として、

「人からお金をもらって生活することに慣れてしまったら自分で稼ぐことができない自立しない人間になってしまう」などがあげられます。

これを言う人は、自分と物乞いをする人は違うと無意識のうちに考えている気がしています。
自分を棚に上げている状態です。


日本では、所得の多い人が多く税金を支払って富の再分配を行う累進課税制度が当たり前になっているし、税金によるたくさんの公的サービスが受けられるし、所得の少ない人が大学進学にあたって給付型の奨学金を受けることもできるし、稼ぐ能力がないと認められる人は生活保護が受けられるし、お金が無くても誰でも共感で資金調達できるクラウドファンディングのようなサービスが利用できるし、物乞いに最も近い街頭募金も当たり前に受け入れられています。

枚挙にいとまがないほど、社会的弱者を救済するシステムはたくさんあります。


一方、途上国では物乞いをするような生活レベルの人たちの隅々まで届くように社会制度やサービスが充実していないのが現状です。
にも関わらず、充実した社会の恩恵を受け、無意識にサポートされて当たり前と思っている僕たちが、上から目線で彼(彼女)らに自立がどうこう言えるでしょうか。
人間なのだから、自分の生活を回すために簡単で効率的な手段があるならそれを用いるのは当たり前ではないでしょうか。


僕が彼(彼女)らなら、「あなたたちはわざわざ物乞いなんてしなくても生活できているのに、よくそんなことが言えるな」とさえ思ってしまうかもしれません。

僕が彼(彼女)らなら、自身の自立を考えてお金をもらうのを拒むことはできないし、もらわないべきだとも思えません。同じように物乞いをするかもしれません。

自立云々と批判できるのは、自立可能な社会的基盤が整ってからです。

自立しようにも難しい彼(彼女)らに、それらを半ば強要した批判をするのは本当に酷な話です。

どんな話もほとんどの場合個人に責任は無く、注視すべきは社会構造です。


あなたはどう思いますか。


#NPO法人 #ドリームハック #国際協力 #物乞い

NPO法人 DREAM-Hack 副代表 松野貴典

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