頬粘膜がん 391日目 がんになって変えたことと、映画の話
頬粘膜癌 391日目。
血圧 124 ー 93 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 99 %
脈拍 74 拍/分
体温 36.6 ℃
体重 73.6 kg
よく、がんになって自分がどう変わったということを言う。そういう僕もがんになってから変わったことはいくつかある。
それは体の変化だったり、こころの変化だったり。
例えば、体の変化としては、手術をしたり放射線治療をしたことで頸部の動きが悪くなったり、肩関節にいろいろな障害が残ったとか、耳や顎・肩部分が知覚鈍麻になったり、難聴になったり、開口障害になったり……まぁ、いろいろだ。
心の変化としては、何があるかな。人は死ぬということが身をもって理解できたり、世の中には素敵な人もたくさんいるが、嫌な人もたくさんいるってことだったり、意外とその気になればなんでもできるってことだったり、嫌なことはやらないと快適だってことだったり……そう、いろいろだ。
変わったこともあるが、変えたこともいくつかある。
その中のひとつが禁酒だ。
僕の場合は完全禁酒ではない。たまにはビール1杯ぐらいは飲む。例えば友達と食事に行ったり、飲み会に誘われたり、会合やイベントの乾杯の時とか。
別に2杯目を飲んじゃダメだ!とかってルール決めをしているわけでもない。もちろん、頭頚部癌の原因要素として喫煙・飲酒が深くかかわっている可能性があることを理解しているので、基本的には飲まないと決めた。
これは、飲まないように”なった”のではない。飲まないように”した”のだ。
”なった”は状況がそうさせている事象の事だ。”した”のは自分の意志でそうしている事。”なった”ことには自分の意志はあまり関係ない。自分からがんに”なった”のではない。
というわけで、意識して自分でお酒は基本的には飲まないように”した”。
以前、僕は週の8日はお酒を飲む生活をしていた。毎晩お酒を飲むのだけれど、飲んで寝て、日が変わった夜中に目が覚めてまたそれから飲んで寝て……みたいなのも結構普通だった。休日は別に日中でも飲んだし、夕方も飲んだし、夜中も飲んだ。
量は実は大して飲めない方で(笑)、その都度は缶ビールだとか、缶チューハイだとかを1本とか2本(350ml缶)。まぁ都度毎はそうなんだが1日の分量にしてみれば350ml缶を10本近く飲んでいたりもする。
軽い酩酊感が好きだというか、なんだろうなぁ、お酒を飲んでいると少し楽しい気分になるのでそれが好きなのかもしれない。軽い酩酊感はいやなことを考えるのをめんどくさくさせてくれるし、多少楽しい感じは幸せな気分にさせてくれる。
まぁ、単純にお酒に”逃げ”ているという状態だったとも言える。というか、そうとしか言えないかw
もともとは、雰囲気が好きだったというだけの事なんだろうと思う。
好き、嫌いってのはそんなことでいいんだとも思うが。
僕の場合は、バーボンウィスキーの香りだとか、お酒を嗜むって雰囲気が好きだったのだ。西部劇やハードボイルド映画が好きだったのも影響していると思われる。
本を読みながら、あるいは音楽を楽しみながらお酒を嗜むみたいな。そういうおしゃれな感じに憧れたのだ。別にコーヒーを嗜んでもいいし、それは葉巻でもいいんだが、それでもバーボンの香りには強く惹かれるものがあった。日本酒にはあまりそういう感じがない。
実際にはお酒を飲むと、乱視がひどくなるので読書には向かないということはお酒を飲むようになってから知ったw
という、わけで本来は僕はウィスキーが好きな人である。
ワインや日本酒はどっちかと言えば苦手。ビールも苦いのであまりおいしいとは思わない。(風呂上がりの1杯のビールについては別)
ワイルドターキーが一番好きだったかな。ハーパーもフォアローゼスもオールドクロウ、メーカーズマークも飲んだけど、結局ワイルドターキーが一番好きだったような気がする。
まぁ味にそんなにうるさいほうじゃないんで、そんな気がする程度の事なんだけど。
メーカーズマークを好んで飲んでいた時期は、カナディアンウィスキーのカナディアンクラブやクラウンローヤルも好んで飲んでいた。
なんせ、酒の量販店ができはじめてウィスキーが随分と安く飲めるようになったからというのものあった。それまでは、ウィスキーは高嶺の花だった。オールドかリザーブが飲めれば十分で、安いホワトホースとかREDとか、トリスとかが当たり前だった。
そういうウィスキー好きだった僕はがんになってお酒を飲まないように”した”のだけれど、こういう映画があるとやっぱり見たくなってしまうのだ。
ウィスキー自体やその製造について、深く語った映画ではない。それは少し残念ではある。
”独楽”という失われたウィスキーを再現するという主題があるけれど、ウィスキーを愛するという事よりも、蒸留所という箱を大切にしようとする人たちの熱意みたいなものと”仕事をするとはどういうことか”みたいな事が描かれている。普通に良いものがたりで感動的だった。
50代後半になって、これはがんになったからというのもなにがしかの影響があるのかもしれないが、ふとしたセリフやシチュエーションにあっという間もなく心を持っていかれて涙ぐみそうになる。
良い小説を読むと涙が出たりすることは良くあるのだが、最近は下手をするとCMのワンシーンですら涙ぐみそうになる(汗)
そういう意味では、人が少ない空いた映画館はさめざめと涙が流れてもばれないので恥ずかしい思いをしないでも済むというのはありがたい。
一番最初の、ロックグラスの氷の塊にウィスキーが注がれてマドラーでかき混ぜられるシーンの映像と音が一番美しかった。このシーンの画と音を作る為に、どれだけの努力がなされたのだろう・・・・・・。
アニメ映画だと馬鹿にすること勿れだった。
下手にアイドルっぽい役者が出て演技するよりもいいかもしれない。声優と呼ばれる人達は凄いと思う。表情や仕草で表現しきれないものを、あるいは声だけで表現ようとしているのかもしれない。
シーンに描かれている事務机の上の鉛筆1本に至るまで、すべてに”意味”というか”意志”が込められている。
もちろん、実写のフィルムだって事務所のシーンがあれば場所や大道具・小道具の人達がすべてを本物として用意する。けれど、アニメの場合には出来合いの場所でロケをすることはできない。町並みだろうが事務所だろうが自宅だろうが、すべての場所のすべてのモノが1個ずつ描かれるのである。本棚があれば、その背表紙のタイトルも誰かが意味を付けて描くのである。小道具の担当者がなんとなく集めてきたそれっぽい本を並べたりできない。
もしかして、凄い世界だな。アニメって。
なかなか面白い映画を見た。
今日もいい1日であった。