頬粘膜がん 401日目 美味しさとおいしさ
頬粘膜癌 401日目。
血圧 132 ー 90 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 99 %
脈拍 94 拍/分
体温 36.7 ℃
体重 73.7 kg
月曜に予防接種を受けて、火曜はなんともなかったんだが今日はなんだか調子がおかしな1日だった。
午後の仕事中に眠気が襲ってくるのは最近ではデフォルトみたいなもので、一瞬で意識をもっていかれそうになる瞬間があったりするんだが、それとは別になんていうか熱っぽいような不思議な感じだった。
ついでにいうと、軽い胃もたれみたいな状態で晩飯時にはいまいちお腹が空かないというか。そんなこともあって、ふと、あぁ食べる事への関心が以前にくらべると随分とへったかもなぁと感じた。
以前は、調子が悪くて食べられないってのはけっこう寂しい事だった。でも、今はそれほどのダメージ感がない。まぁ、なんなら食べなくても平気みたいな。
実の所、がんになって放射線治療などの治療をおえて退院してから、お腹が空いたなぁと思うことがあまりなくなってしまった。
もともと食べる事が好きだったし、何でも美味しく食べていた。お腹が減って食べるご飯はとてもおいしいものだった。晩御飯が待ち遠しいとか、お腹がすいて昼飯食べて頑張ろうとかね。そういう、食べる事、食べたいみたいな雰囲気というかそういうものが生活の中で大きな意味を持っていたと思う。
それが、失われてしまったなぁと思う。食べる事が好きなのはまぁ好きなんだが、食べられるものが凄く減った。好物のひとつがカツ丼だったが、それはもう食べられない。寿司や餃子は好んで食べた食べ物だが、今は食べられる事は食べられるかもしれないが以前のような食のヨロコビとはほど遠いと言える。餃子とかはパクリとは行けないので、細かくちぎりながら食べるし、寿司は・・・・・・食べてはないが、食べるとしたら刺身を食べて、それから酢飯をおい飯するみたいな感じになるだろうか。
開口障害とはそういうものだなと思う。
おかげさまで味覚障害にはならなかったので、いろんな食べ物がちゃんと美味しいと思う。
しかし、おいしさってのは”味”のみで構成されているものではない。食感だったり、歯ごたえだとか、口の中の食べ物がある状態みたいな所にもおいしさはある。
口いっぱいにご飯をほおばる、その美味しさ。カツ丼のうまさには肉のうま味や油のうま味と出汁と醤油、たまごの甘さ、それらの味を吸い込み、なおほかほかの白米。それらが口の中を占拠して、それを咀嚼することで新たなうま味が作り出される。こういった一連のカツ丼という塊をかき込むうまさってのがあった。
味という要素が占める割合は、そういうカツ丼を食すという行為においてどれくらいの要素だったんだろう。半分くらいのものなのかもしれない。
サンドイッチを食べるという行為も同じような感じがある。
例えば、ハムサンド。パンの味、辛子マヨネーズの味、ハムの味。それぞれに美味しい要素があって、でも、それを重ねて一緒に口に運ぶ事で生まれるうまさってのがある。ばらばらに味わうのではないハムサンドという塊。かぶりつく事で生まれる口の中いっぱいの幸せ。そういうものがサンドイッチにもあると思う。
僕の場合は開口障害があるってだけで、味覚もしっかりしていれば、小さくすれば大概のものは食べられる。舌癌やそのほかの口腔がんの人達にはそれぞれにまた違った食についての喪失はあるのだと思う。
実際の所、比較のしようもないのだと思う。
よく、他人の不幸と比べれば、自分はまだまだマシだ的な思考というかそういうものの捉え方があると思うが、僕個人はそれってまったくナンセンスだと思っている。
もちろん、比較対象となる事象や人々が不幸である事は疑う余地もないのだけど、比較するという事に意味が無い。
あの人よりも自分はマシだ、なんて考え方はいろんな意味でなんか失礼だし、そもそもあの人と比較したからって自分の不幸が減ったり増えたりしないんじゃないのかな。
おっと、話がそれ始めた。そうそう、食の話だった。
食の喪失について、他の病気の方々と自分を比べて、マシだとかいやこっちがもっと酷いとかって考える事に意味がないって話だった。
で、まぁとりあえず僕は食という行為の中の大きな何かを失ったと思う。
それでも、いろんなものを美味しく食べられるのだからありがたい事ではあるのだが。もしかしたら今後、それらを取り戻すこともあるかもしれないが、当面はそれほど挽回できる見通しはついていない。今ある美味しいを大事にするのが先決だ。
もしかしたら、今までは知らなかった”おいしい”を見つけることもあるかもしれないしね。
明日はもうちょっと体調がもどれば、また美味しいものも食べられるだろう。
寒さもちょっと緩んでいい感じの日になりそうだ。冷たい蕎麦なんてのも悪くないんじゃ無いかと思ったりしている。
今日もいい1日であった。