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さっぽろの懐かしい原風景

1972年(昭和47年)2月3日~13日の10日間にわたって開催された札幌冬季オリンピック。この国際的行事の開催を契機として「さっぽろ」は「SAPPORO」へと大きく変貌を遂げた。街には地下鉄が走り、地下街ができて、地上の猛吹雪の世界とは別世界が広がった。今でも地下街は左側通行が市民の暗黙のルールとなっている。諸説いろいろとあるが、地下鉄大通駅(地下街開業当時は南北線のみ)から、地下街に入る扉が左側だけが開いており、市民がそこを通って地下街に入ったことから人の流れが定着したとする説が有力だ。何せ、市民も自前の地下街を通行するのは初めてのことだったのだから、開いているドアに吸い込まれていったのだろう。オーロラタウン、ポールタウン。今でも健在の2つの地下街は、市民にとっての移動ルートの大動脈だ。
地下鉄ができる前の市民の足は、市営の路面電車と通称「赤バス」と呼ばれていた市営バス(車体の大半を赤色で覆われていたことから)。この赤バスを懐かしいと思われる皆さんもおられることと思う。自分にとっては、ダブルクラッチでギアを入れて運転するバス運転手の運転操作は、「かっこいい~」の一言だった。今では、その市営バスは他のバス会社に路線割譲となり消滅。市営の路面電車も市内1ルートの循環路線として営業を続けているのみとなった。

老朽化でビルの建設ラッシュが続いています

札幌オリンピックから50年。いや、そのオリンピックに合わせるように建設されていったのだから、札幌市内中心部の商業ビルは、とうに半世紀を超えているだろう。実際、ここ2~3年ほど前からビルのスクラップ&ビルドは、「えっ、このビルも」と感ずるほど、どんどんと進んでいる。久しぶりにビルの前を通ると工事中の高い塀が、現実と未来を隔てる大きな境界線として立ちはだかる。新しい顔が立ち並ぶわくわく感がある反面、これまで見慣れた老舗の建物が、いとも簡単に解体されていく様を見て、人生の世代交代と役目を終えたものの引き際の空しさを感じる。「まだ頑張れる!」と言いつつも「いや~もうそろそろいかがでしょうか?」と定年退職間際で早々に肩をたたかれる、「あの独特な感情」に似ていると感ずるのは私だけだろうか
そんな中、今でも変わらない風景がいくつもある。皆さん、それぞれに「自分の店」「自分の味」「自分の空間」・・をお持ちだと思う。「いつの時代になっても変わらないもの」、そんな原風景を大切にしていきたいと強く願うばかりだ。ちなみに私の「変わらぬ風景」の一つは、今でも元気に稼働中、丸井今井デパート本館から一条館への連絡通路で営業中、「とうまん富士屋」の和菓子まんじゅうである。円形の焼き器からオートマチックに作り上げられる和菓子まんじゅうの大量生産の工程。見事なまでの出来上がり光景をじ~っと見つめていた少年時代の頃を懐かしく思い出す。あまりの熱視線ゆえに、私の手を引っ張る母親が根負けして、まんじゅう1パック(購入時は10個入り)を購入してくれた。初めて食べた白あんの甘い味を忘れることができない。今でも、店舗の前を通り、その魔法のような機械を目にすると、つい歩行速度を緩めて、ゆっくりと通過する。本当は立ち止まってゆっくり見たいのに・・。

どんな風景になっていくのだろう

今、札幌市内は、すすきの~札幌駅前まで、怒濤のビル建設ラッシュだ。完成の暁には、外からも、各ビルの中からも、これまでとは違う風景が広がるだろう。街の風景は、それそれの人生を映し出す。学生時代に通った喫茶店からの風景。同じ喫茶店から見る社会人となった後の風景。みな、それぞれぞれに人生が積み重なり歴史が刻まれた風景だ。これから新しく立ち並ぶビルも、そんな人々の人生を包み込むような温かい存在になって欲しいと願ってやまない。


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