奨学金 3/3
最優秀賞を取ったあの後、舞台でやっていこうと決めた時、自分は何ができるか考えた。演劇を続けようかとも考えたが正直演劇は向いてないなと考えてた。
以前共演した役者さんから舞台があるから観に来てよと誘われた公演を観に行ったが高確率で途中で寝るのだ。作品の最初のところで内容が入ってこずそのまま寝落ちして起きる頃には終盤になり何の話か分からぬまま終わったことがある。演劇を4年やってきた人がこの様である。演劇は奥が深すぎたのだ。演劇をやるにあたってその人が出てる公演にはなるべく行くようにはしてるのだが、大半は寝てる為演じてる方にも失礼だし、何よりお金が無駄になると思った(演劇は基本映画よりも高い)勿論面白い作品もある。俺が演劇を辞めても観に行ってる劇団さんは5団体ある(ガラパ、劇団きらら、劇団かもめんたる、ヨーロッパ企画、南無サンダー)東京や福岡で公演があればここの団体は行くようにしている。
まあなんにせよ演劇を棄てることになった俺は何をしようか模索してた時に僕を誘ってくれた劇団さんの主催の方から学祭でテント公演があるから観に来てとLINEが来た。勿論行こうと思ってた。俺は自転車で主催者さんの大学へ行った。公演まで時間があったので何か時間を潰そうと校舎をウロウロ周った。そこで落研の寄席が無料とのことで観に行った。ただそこで観に行った落語がまあお世辞にも上手いとは言えなかった。そこで僕は頭の中でここをこうした方が面白くなるのになと脳内でダメ出しをした。しばらくダメ出しをし続けた時ふとあることに気づいた。
あれ?俺まだお笑い好きなんじゃん
子どもの頃からエンタ、笑いの金メダル、レッドカーペット、レッドシアター数々のお笑い番組を見てきた。この当時はまだm-1が復活したての時でもあり、なんなら2015のr-1から賞レースを見続けてきた賞レースオタクだ。そんな自分がお笑いがまだ好きだったとここで気づいたのだ。
芸人はとても技術がいるし売れるには相当時間がかかるし、とても厳しい世界だと言われ続けてる。でも、当時の自分にとっては今が厳しい人生だと思った。どうせ、超ブラックなとこで働いて楽しくない人生送るよりも金がなくても芸人やって楽しい人生送りたい。俺はそう思った。俺はテント公演を観に行ってすぐ様家に帰り「お笑い養成所 福岡」とパソコンで調べた。
次の年に太田プロ福岡の養成所に入り、さらにその次の年に東京に上京した。東京は物価が高いと散々言われてるが、意外にもそうでもなかった。その次の年にコロナが流行った。このタイミングを考えると19年に上京して良かったのかもしれない。コロナ初年度はフリーライブは出れなくなったからとにかくバイトをしまくった。バイトをしまくり金が溜まった次の年はNSCに通った。NSC通っている時は金が底をついたこともあったがそれでも奨学金は払った。そして吉本所属。バイトもしつつライブも出た(バイトがメインだけど)去年の6月ごろ警備の夜勤中にこれから給料いくら入るかと計算した時に気づいてしまった。
あれ?これ20代の内に奨学金払い終えるんじゃね?
それからはもう奨学金の為にバイトをした。そして今年の4月30日遂に奨学金を払い終えたのだ。
大学を辞めてあれから7年が経った。大学を辞めた時は奨学金払えなくて自己破産するだろうなと絶望した。そんな俺が東京に一人で住んで普通に生活して、バイトして、ちまちま奨学金を返しての繰り返し。それでも人前でネタをやるのは楽しくて退屈しない。勿論ライブと賞レース準決勝はバイトの休みを取ったりした。こっちの方が最優先だからだ。僕は結果的に芸人になって良かったのかもしれない。
奨学金を払い終えた俺は今iPhone15のローンを払っている。上手くいけば来年の4月か5月に払い終えるだろう。
さて、長々と大学時代〜奨学金払い終えまで書いてしまった。当初これを書いたときは、先月の5月のGW中だったが、色々あって7月までかかってしまった。もう29歳になってしまった。怠け癖は今も健在だ。またnoteはしばらくしたらまた籠るだろう。でもこれだけは伝えたい。
人生落ちることもあるけど意外となんとかなると。
7月17日ある一通の手紙が届いた
学生支援機構からまさかの払い戻しが来たとのこと。まとめて払ったつもりが払い過ぎで戻ってきたのだ。
残った538,174円から7,715円払い戻し。単純に引き算をしたら約53万円
これ要するに俺の払った奨学金でフリーザ様のネタが使えるのでは…!?
私の支払った奨学金は53万です。
これからも使っていこう
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