奨学金 2/3

しばらくは生きようと決めたある日一件のDMが来た。

その当時の一年前に他大学と一緒に公演を作る福岡県大学合同公演があり、その公演の脚本家から直々に学生演劇祭のオファーが来たのだ。
学生演劇祭はまあ簡単に言えば大学演劇の賞レースである。(地方予選)
このDMが来た時は正直嬉しかった。嬉しかったのだが、この年で大学を辞めてしまい学生の身分じゃない。ここで参加しても学生じゃないじゃんで発覚した時に失格になるんじゃないかといらん心配をし色々考えに考え最終的に辞退しようと考えた。ただその断り文を作るのが苦手で苦手で足りない頭で考えて送ったのが2週間後。

すみません。連絡遅れて大変申し訳ございませんでした。今回の演劇祭のお誘い本当にありがとうございます。ですが、私実は、学生の身分ではなく、参加できないと思われます。今回のお誘い本当に嬉しい限りなのですが辞退させていただきます。ですが本番は見に行きます。連絡が大変遅れたことも踏まえて、大変申し訳ございませんでした。

相手に不快にならないように丁寧に丁寧に言葉を考えこの文で送った。しかし帰ってきた返事は意外なものだった。

いや、学生じゃなくても参加出来んのかい。と思った。ただ、参加条件を満たしてる自分にとって良い事だと思った。

が、その当時誰とも会いたくないという思いがいまだに消えなかった時だった。散々迷っていたが二日間の猶予をくれと主催者さんに頼んだ。

その間出るか出ないかどうしようかと考えていた時あるまとめサイトのコメント欄にこんなことが書かれてあった。

僕はこのコメントに深く刺さった。前半の文がまさに自分と同じ状況でビビった。まるでこれからやるべきことを導かれるかのようで…後日主催者さんからあれからどうでした?とDMが来た。

返事が遅いのは嫌われないように嫌われないようにと意識して文章書くので本当に苦手

それから僕は役者として演劇祭に参加した。
それからは稽古の毎日だった。外に出ることもあってお金の出費もあってかまだ在籍してたテキ屋のバイトを始めた。また、その年の3月に公演があった南無サンダーのリバイバルを9月と11月(しかも熊本でやる)にやると2団体の演劇の稽古とバイトで1ヶ月ニートをやってたとは思えない程忙しかった。ただ、やっててしんどいという感情はなかった。色んな演技を模索してそれを披露するのはとても楽しかった。演劇祭の2週間前にはバイト中腕に油を被ってしまい火傷を負ったこともあった。幸い公演までには治る怪我で済んだ。(南無サンダー主催の安部さんからお前これからって時に怪我すんなやと怒られた)
演劇祭当日。2日掛けて行われた
その結果

大賞に選ばれた時は声出たな


僕らが参加した団体が最優秀賞を取った。俳優賞はもう1人の俳優が取ったものの僕にとってそれが大きな自信となった。その時にふとこう考えた。僕は人前で何かをやっていく人間なんだと…

大賞を取った時の集合写真。赤い服で正座してるのがタイヤ。福岡学生演劇祭のアカウントまだあって今も写真残ってんのかなーってスクロールしたらまだあって感動した。
https://x.com/fstfweb/status/903193195093270528?s=46&t=bRRHHsnvPrTzSdbjK45m5Q
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