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銀座三越と同い年の母と、いざ銀座三越へ(^^)

銀座三越は1930年4月に開店している。
母は1930年10月に生まれているから、なんと同い年だ!!

そんな母と「虎に翼」を見ていると、虎ノ門育ちの母は銀座4丁目界隈が懐かしいって話をよくしていた。「三越は変わらず銀座4丁目の交差点にあるよ」って話をすると、「ほんとう?懐かしいわあ」と言う。

調べてみると、三越は車椅子の貸し出しをしていて、予約もできる!!

母は手押しカートで自力で歩けるが、長時間は歩けない。だったらデパートの中だけでも車椅子で移動できれば、ゆっくり楽しめると思い、秋晴れの日に母と銀座4丁目に出かけました。

まずは懐かしのライオン像と一緒に写真を撮り、銀座4丁目交差点を行き交う人々をのんびり眺める。「大きい人が多いと思ったら、日本人じゃないわね」と母。そう、今の銀座は外国人観光客の方が日本人より多く感じられる。それをすぐ見抜く母の鋭さが健在で嬉しい。

三越のお向かいにあるのは銀座和光、斜向かいには鳩居堂が見え、母はしばらく懐かしそうにたたずみ、時間が母の幼少期に戻っていく様だった。

母のお父さんは虎ノ門で歯医者さんを営み、お母さんは小学校の先生をしていた。母はその四人姉妹の上から2番目。小学校の頃は身体が弱く、肋骨カリエスを治すために久留米学園という寄宿学校に通っていたそう。この写真はその学校から戻った翌日の銀座での写真。

小学3年生の母と、私のおばあちゃん
母の記憶ではここは数寄屋橋の交差点らしい

久留米学園は母の記憶によると、寄宿舎は1−3年生までと、4−6年までが一緒で、男女別に分かれて部屋があった。6畳くらいの部屋がいくつかあって、一人一人に机があり、布団が押し入れに入っていた。夜は消灯があり、寮母さんが毎晩毎晩、本を読み聞かせてくれた。『「母を訪ねて三千里」みたいな分厚〜い本よ。それがなかったら眠れなかったと思う。みんな親元から離れてホームシックだったからね。日曜日はハイキングに行ったりしてたかなあ、そうでもしていないと皆んな家が恋しくなっちゃうの。』

治療が目的の寄宿舎から学校に通う日々は約半年間続いたと。銀座へのお買い物は、頑張った母へのご褒美だったのかもしれない。

三越の9階には広々とした庭園があり、デパ地下弁当を食べている人、パソコンでお仕事している人、思い思いの時間を過ごしている。私たちも日向ぼっこすることにした。絞りたてみかんジュースといちごスムージーを買い、「どっちが良い?」と母に聞くと、母はそれぞれを少しづつ味見し、「そりゃ家では作らないようなスムージーがいいわ❤️」って(笑)

私が書いた簡単な銀座4丁目の交差点図を見ながら、「三越は日本橋が本店だから、銀座店なんて出店みたいなもんだったのよ。それがこんな立派になって、屋上までできちゃって。」そして、ポツンと「和子ちゃんがいたら、こんな話も一緒にできたのにねえ…」とつぶやく。和子ちゃんは母のすぐ下の妹で、母はとても可愛がっていた。先月その妹が91歳で旅立ったばかり。母は最近は新しいことはどんどん忘れてしまうが、和子ちゃんのことはこうしてよく話す。思い出してあげることで和子おばちゃんも喜んでくれているといいなぁ。

屋上でいちご🍓スムージーを飲みながら。

あっという間に時間が流れた。帰り道、「三越ライオンとも再会できたし、楽しかったね」って私が問いかけると、「あのライオンは本物だったの??」と真顔で言うから、笑った。

いやはや、母は強者です。笑笑



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