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2016.9.2 cakesウラ話〜嫌なことがあった時の4つの対処法〜

---この記事は投げ銭記事です---

こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。

今回のケイクスにはこんなお話をアップしました。
文月さんの記事「私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?」に思う

文月さんという詩人の方の記事について、私が気になった点と学べることを書いてみました。なにせ大学教授に講師として招かれた壇上で、公開質問としてドギツイセクハラ質問をぶつけられたというお話でしたから、これは書かねば、と思い。編集者さんは「そんなに憤ってたんですね」と驚いてていましたが。

さて今回は、その文月さんのエピソードから「嫌なことがあった時の対処法」という極めて現実的なお話を致しましょう。

「嫌なことがあった時」の定義が必要ですね。これは、あなたの存在自身を揺るがしてしまいかねないほどの、暴言を浴びせられたり大失敗をしたり何かを喪失したりして、少なくとも1、2ヶ月はそのことをしょっちゅう思い出してしまうほどの「嫌なこと」とします。つまりかなり嫌なことですね。原因は自分でも他人でも、人智の及ばない自然などでもいいです。

嫌なことがあった時、人間は大抵この4パターンの反応を示します。精神的な負荷としては1、にげるが一番軽く、だんだんと重くなっていきます。ですから難易度も↓に行くほど上がってきますね。

1、にげる

2、放置する

3、向き合う

4、飲み込む

この中のどれがいい、というものではありません。嫌なことがあった後に1から4まで段階的に行く人もいれば、1、で止まる人、2、で止まる人、初めから4、まで行く人などさまざまです。順にお話します。

1、にげる

言わずと知れた「逃避」です。ショックなこと、嫌なことがあった時、人間はその強すぎる精神的ストレスに耐え切れずいったんは「なかったこと」にします。すごく辛い時は家事に没頭したり好きな漫画を読み漁ったりゲームをやり込んだり、自分に好意を寄せる異性に会ったり。脳の持つ処理速度・処理容量をほぼ他の事象で埋め尽くすことによって、嫌なことへの心の対応を回避するのですね。そんな経験、心当たりありますよね?

「にげる」は一見正しくない反応のようにも見えますが、これは自分の精神が破壊されないための、大切なシステムです。これを逃げずに真っ向から全て受け止めると、精神を病んでしまう可能性が高くなります。わたしは嫌なことがあった時、意識的に一週間程度は「にげる」コマンドを選ぶことにしています。

不思議なもので、この「にげる」をしている真っ最中って自分ではにげていると気付かないものですが、あとから振り返ると「ああ、あの時はわたしは逃げていたんだなあ」とわかります。

2、放置する

「にげる」と似ていますが、若干違います。その出来事を無かったことにはしないものの、「なぜそれが起こったのか」「どうすれば再発を防止できるのか」などの検討を行わなず、ただ「それが起きてしまった、ヤレヤレ」程度にしか評価をしない対処方法です。これも初めに受けるショックを緩和するための良い方法ですね。しかもつぎの「向き合う」に姿勢が向いているので、良い方法です。

もし嫌なことがあって、可能なら、つまり精神が持ちこたえられそうなら、「にげる」より「放置する」を選びましょう。

3、向き合う

さて、「向き合う」は文字通りその嫌なことにしっかりと向き合う姿勢。相撲で言えばがっぷり四つに組むということ。

これにはかなりの精神的体力を必要としますから、元気なときで、他に負荷がかかっておらず心配事がないときで、なおかつ通常は嫌なことがあってしばらく(1ヶ月くらいでしょう)経ってから選ぶのが良い作戦です。急性期(嫌なことが起きてから1、2週間)はまず客観的な出来事としてそれを扱えませんし、まだ生傷があるのでその傷に面と向き合うのはいささか困難です。

しかしながら、どうしてもその事が気になって気になって仕方がなく、それに向き合わなければ、まるで毒におかされたようにどんどん病んでいってしまう、というシーンがしばしば存在します。今回の文月さんの件もそのタイプであったと拝察いたします。(詳しくは文月さんのnoteもどうぞ)

そういうときは、止むを得ず丸裸で敵中に飛び込んで行く事になります。かなりの精神的な苦痛を伴いますが、それでも向き合い、自己と真に語らい、いろんな人と議論をし最後にアウトプットをすれば、嫌なことをなんとか自分の血肉にできることがあります。血肉にできずとも、ある程度の納得感を持って「この問題はこれにて終了」と、楽譜で言うFin.を書くことが出来るので、やはり良いです。

ただ、冒頭にも書いたように、この作業にはかなりの精神的体力を必要としますから、時に心折れて力尽きることもあるのです。そうした時は1、にげるに戻ってもいいし、2、放置するとしても良いのです。また体力がチャージされたら、3、向き合うにチャレンジすれば良い。


4、飲み込む

さて、これはこの中で最も難易度の高い方法になります。

これはどういう態度かというと、起きてしまったその嫌なことを理解し、「そういうことも起きるのだ」と受け入れ、場合によっては自分のせいだと自覚し、嫌なことを起こした相手(人間だったりシステムだったり神様だったりします)のために祈り、それを愛し、あるがままで自分の体の一部にする方法です。

ここまで達成できることはあまりありませんが、もし出来てしまえば、最高の対処法になります。最高の、とは、最も苦しくなく、最も納得でき、最も美しいということ。

何言ってるんだ、自分にそんなショックなことをした相手のためになど祈れるか、とお思いでしょうか。そうです。これは極めて難しい。しかし対象を憎んでいるうちは、まだその苦しみから逃れられないということは知っておいていただきたいと思います。わたしは医者ですから、病気で大切な人を奪われたご家族とも日常的に接します。中には医者に暴言を吐く人、ナースに辛く当たる人、病気そのものを強く憎む人もいます。そういう方は、そうしている内には本当にその悲しみを飲み込めたとは言えません。


以上です。こんな階層構造があることをご理解いただき、いざという時に備えていただければ私としては望外の幸せです。

この記事は「200円投げ銭記事」です。投げ銭してくださった方のために、「医者が二日酔いのときどうするか」を書きましょう。


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