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【自己紹介】竹内誠寛「Jリーグを目指して活動しているサッカークラブの社長ってどんな人?」

僕は、北海道からJリーグ参入を目指す『北海道フォルトゥナフットボールクラブ』の社長です。

北海道フォルトゥナフットボールクラブの社長ってどんな人なの?

ということで、これから色々な場面で自分の紹介をすることが増えそうなので、僕の自己紹介を兼ねて、今後の目標やプロセスについても書いていきます。

「竹内誠寛」

◉1994年11月21日生まれ
◉北海道札幌市生まれ

ウルトラマンオタク。
多分母親のイタズラ。

◉最終学歴高卒

高校選手権は最後に僕がPKを外して引退。

◉大学を1年で中退

「今すぐ大学を辞めて留学に行った方が良い!」と背中を押してくれたゼミの先生。
今でも定期的に「一緒にビールを飲もう!」と誘ってくれます。

◉ヨーロッパのドイツへ渡航

あだ名は「ウシ」
(竹内のウチをあだ名にしたのに、チの発音ができないドイツ人)
ドイツがW杯で優勝したのを街中でパブリックビューイング。
ビールの雨が降った。
コツコツ頑張って、運も良くプロ契約ができた。(ドイツ4部所属)
でもプロ契約だった2年間通してほとんど試合に出られず、契約更新できず。

◉日本に帰国

帰国後に働いていたサッカースクールのコーチ仲間と。

◉株式会社DRAWING設立

就職はしたことありません。

◉主にスポーツに関連する事業を行っています。

小樽で行われたスポーツビジネスサミットを開催。スタッフとして関わる初めてのイベント。
元日本代表の鈴木啓太さんを招待し、刺激をもらいました。

◉北海道フォルトゥナフットボールクラブ設立

北海道の象徴であり、生態系の頂点であるヒグマをモチーフに。
サッカー界の頂点を指すチームであることを表現。
デザイン:株式会社niveau 松尾将一
最高の仲間たち。


愛犬あぽ。13歳。
俺が飼ってたのに、4年間もドイツに留学するもんだから、実家送りのあぽは「は?」って感じです。
もう仲直りしました。

写真付きで紹介したのが、僕の今まで。

北海道からJリーグを目指すサッカークラブを作ろうと思ったきっかけ

僕はドイツ在住中に、色んなことを学びました。

学んだというより、身体や心で直接感じたと言った方が正しいかな。

あまり比較しすぎるのも良くないですが、やはりサッカー大国ドイツのブンデスリーガも、僕がチャンピオンズリーグの試合を見てから大ファンになったアトレティコが所属するラ・リーガ開催のスペインも、やはりサッカー文化が凄いなと。

僕の気持ちに火がついたのは、ヨーロッパのサッカーに対する国民の意識が、日本では感じたことないくらい熱くて感動したのが始まり。

「いつかサッカーでこんなに盛り上がれるチームを作りたいなぁ」

ある試合をきっかけに決心しました。

2016-17シーズンUEFAチャンピオンズリーグ(ラウンド16)アトレティコマドリード対レヴァークーゼンの試合。

欧州CLは、普段週末に行われるブンデスリーガの国内リーグより迫力がヤバイ。

選手入場のCLアンセムから鳥肌立ちまくりで、試合中の声援は桁違い。

そんな環境に刺激され、痺れまくった末、自分も人々をこんなに人を熱くさせるクラブを持ちたいと思ってしまったのが始まりです。

ちなみにこの試合のおかげで、アトレティコファンになりました。

ブンデスリーガもそうだし、チャンピオンズリーグもそうだけど、何が凄いって、もう一人で歩けないようなお婆ちゃんやお爺ちゃんが孫に連れてきてもらって一緒に観戦して大声で応援していたり、10歳の子供が応援しているチームが負けて号泣していたり、点が入ればビールの雨が降ってきたり、色々ヤバイです。

楽しいし、泣けるし、ムカつくし、ワクワクするし、こんないっぺんに色んな感情になったのはここが初めて。

あんまりうまく説明できないです。

そんなこともあり、自分がプロサッカー選手になれてもなれなくても、セカンドキャリアとして、自分もサッカークラブを持つことをここで決めました。

皆さんも一度、欧州サッカーリーグと、欧州CLを生で観てください。

僕のサッカーキャリアとドイツ

僕はドイツでサッカーをしていました。

小、中学生時代は地元のクラブチームで全国大会も何度か経験し、中学時代にフランス遠征も経験しました。

高校ではサッカー部に入部。

特に高校の部活で結果が出なかった僕は、サッカーに可能性を感じていませんでした。

高校時代は、北海道大会にも出場できずに終わりました。

実は、僕が最後の選手権でPKを外して引退しています。

自分だけは絶対に外さない自信があったし、練習で100%決めていたからキッカーだったんだけど、ね?笑

そのときは笑い事ではありませんでした。

もう笑い事です。

僕の高校サッカー生活は結果が出ずに終了です。

高校卒業後、大学へ入学しました。

決して人のせいではありませんが、周りの意見や世間の声に半分流され、大学卒業のキャリアを取りにいきました。

とりあえず、先生になる資格を取りに行こうかな。って感じです。

そんな中サッカーについて色々調べていたら、サッカー留学の記事と、たまたまニュースでブンデスリーガ のハイライトが放送されていて、内田篤人選手が外国人相手に戦っているシーンが流れていました。

サッカーっていいなぁ。日本人でもこんなに輝けるんだ。

留学の選択肢があることを知ったことと、何か知らないとこから湧いてくる自信が「留学してサッカーに再チャレンジしようかな」という気持ちにさせてきました。

資格やキャリアのために大学へ行き、学びたくもない水泳や野球、解剖学や心理学を学んでいるうちに、自分のやりたいことをやった方が確実に自分の成長につながると思うようになりました。

嫌いな科目でも1年間で必要な単位は全て取りました。

いくら嫌でもやればできない事はないんだけど、やっぱり、「学ばされる」のと「学びたい」のとじゃ、飲み込みの速度が倍以上違うよね。

と、色々考えまくった結果、親の許しを得て大学を中退、海外留学という決断に至りました。

そして無事ドイツへ渡航。

ドイツ1年目、ドイツ7部リーグのアマチュアクラブと契約。

2年目前半シーズン、フリーになり、色んなチームを転々と練習参加しまくりました。

2年目後半シーズン、ドイツハンブルクで6部のチームと契約。

3年目、4部のセミプロのチームと契約ができました。

一応、契約はプロ契約です。

結論から言うと、2年で契約解除になり、戦力外通告を受けた感じです。

実は、3年目の前半シーズンに出場機会が30分くらいしかなく、結果に飢えていました。

年齢やビザの関係で、もうそろそろ結果を出さないといけなかった僕は、練習して練習してまたまた練習して練習しまくった結果、オーバートレーニング症候群という病気にかかってしまいました。

身体の疲労やメンタル面からくる病気です。

まあ、やってきたことに後悔とかはなく、それも実力で、努力の仕方を少し間違ってしまったことと、自分のポテンシャルが足りなかったと逆に割り切って諦めがついたところです。

僕のドイツ生活、プロサッカーキャリアはここで終了です。

サッカー選手としては無名で終わりましたが、後悔ないサッカー人生でした!

サッカーって上手い奴ほど早く辞めるよね?

僕は日本では全くの無名で、有名選手ではありませんが、僕が住んでいたドイツの町ではまあまあファンがいるセミプロのチームでサッカー選手になりました。

僕が契約していたチームは、Regionalliga(ドイツ4部)です。

ドイツ4部のニュースは日本には入ってきませんよね。

ドイツ4部には割と日本人は多い気がします。

隠れ海外組です。

でも、僕はエリートではありません。

落ちこぼれがサッカー選手になるまで

僕は小中と地元のクラブチームでサッカーをしていました。

小学生の竹内。2番。

小学校まではスタメンで全国大会も経験していました。

中学に上がり、上手い奴らが急に増え、全国大会へ出場してもほとんどベンチ。

むしろメンバー外だったこともあります。

中学時代は骨折も2回し、選手としては落ちこぼれです。

何でこんな奴が海外でサッカー選手になったんでしょう。

多分、往生際が悪かったんだよね。

中学時代に自分より遥かにうまかった選手たちは、高校を卒業してみんな辞めていきました。

上手い奴って、何で諦めるの早いの?

これずっと疑問。

中には本当に上目指してサッカーやってる人もいるけど、過去に上手かった人はだいたい高校卒業したり大学卒業したら辞めているイメージ。

自分の限界を知ってしまうのかな?

自分で限界を作ってしまうのかな?

僕はいつまでも諦めきれず、サッカーに未練たらたらの大人に育ちました。

高卒、ひとりでドイツに旅立ち、1日中サッカーのことだけを考え、サッカーだけをして過ごしました。

結果が出るまで2年ちょっと、人生で一番頑張った時期だと思います。

海外留学が一番の財産

僕が日本にいたら、絶対にサッカーは続けられていませんでした。

18歳でサッカー選手を諦め、就職していた人生だったと思います。

海外のサッカーって、下部リーグの選手が急にスカウトされたり、急にプロになったりすることがあります。

可能性がたくさんあって、夢のある国なんです。

チャンスがある以上、頑張るのは当然ですよね。

日本だと、高校サッカーや大学サッカーで結果が出なかったら諦めがちじゃないですか。

諦めがちっていうか、日本は海外ほどサッカークラブへの練習参加やセレクションのハードルが低くないイメージ。

だから、キャリアが高い選手以外ほとんど可能性がなくなってしまっているんですよね。

そう思っているだけかもしれませんが、そう思ってしまう人は少なくないと思います。

なんとなく、高校や大学の最後の大会が終わったら、「ここで終わり」と思ってしまうんでしょうね。

多分そう思う。生活があるしね。働かなきゃいけないし。

そう考えると、自由に留学できる環境があった自分は恵まれていますよね。

自分のキャリアや今までの結果は関係なく、今の自分を評価してくれるヨーロッパは、何のキャリアもない僕にとっては天国でした。

結局サッカー選手になったとはいえ、日本では無名で何の知名度もない選手で終わってしまいましたが。

でも思うことはたくさんあって、決して自分が思い描いているプロサッカー選手には届きませんでしたが、目標に向かって頑張っていた時期に得たものって、物凄い財産になっています。

今の自分があるのも海外で様々なことを学んできたおかげ。

サッカーしかしてこなかった僕が、サッカーを仕事に生活できているのもヨーロッパサッカーを学んできたおかげ。

今、めちゃくちゃ楽しい。

何かやりたいと思ったらすぐ行動に移しましょう。

後悔は身体に悪いよね。

僕の仕事

僕の仕事は、サッカークラブの経営だけではありません。

経営者として成長する必要も大アリなので、日々仕事を頑張っています。

学生の就職支援、不動産業、フィットネス事務経営、今はできていませんが留学コンサルやドイツ語教室もやっていました。

失敗だらけですが、やろうと思ったことは一度試してみる派の人間です。

今年は持ってるマンションを売却し、「FORTUNA PARK」というサッカーのフルコートグラウンドと、冬でも使える人工芝の室内練習場の建設もします。

色々やってます。

よくやるよね〜。とたまに言われますが、意外と自分で会社を経営したり、新しい事業にチャレンジすることに恐怖心は無いです。

リスクマネジメントは大事ですが、ノーリスクのことにあまり可能性を感じていません。

最終的には、サッカークラブの経営を成功させたい!と思っています。

というか、成功させます。

そのために色んな仕事してます。

こんな感じで、僕の軽い自己紹介は終わります。

質問があればなんでも答えます!

*次の記事は、僕が世界一かっこいいと思うサッカークラブについて。→

Tschüss



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