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第3章 気が付けば、24室のアパートオーナーに

参番館の竣工後、すぐに自身で所有する3棟目のアパート、プリマ五番館が着工しました。五番館は参番館と同じ敷地に背中合わせで建つ、参番館の姉妹館です。間取りは参番館とほぼ同じですが、五番館には対面キッチンを採用しませんでした。参番館での対面キッチンの採用はあくまでも、試験的な段階で、実際に入居者を募集するまで、対面キッチンが好評を博するとは思ってもいませんでした。

 五番館のキッチンは居室から独立しない壁付けキッチンの計画でした。居室からキッチンが常に見えます。一般に、単身用のアパートではキッチンが部屋の中にあるワンルームタイプより廊下にある1Kタイプの方が好まれる傾向にあります。これは1Kタイプではキッチンが部屋から見えないからです。通常のアパートで使われるキッチンは価格を優先して選ばれるので、とても観賞に耐えられるものではありませんから、部屋からは見えない方がいい、もっともな意見です。

 しかしながら、欧米のアパートでは、キッチンは部屋の中にあって、家具としてインテリアに重要な役割を演じます。ヨーロッパでは毎年、有名なデザイナーが競って、モダンなキッチンを発表します。五番館ではそんな意匠性の高いキッチンを輸入して使うつもりでした。五番館の着工後、建築予算を組む段階で、知り合いの輸入業者から、インターネットで見つけたイタリア製のキッチンの見積もりを取りました。そしてFAXで送られてきた見積もりを見て、一旦、私の五番館でのテーマ、インテリアとして見せるキッチンの計画は座礁します。設備機器込みで1セット50万円、プリマは一棟8戸ですので、合計で400万円、消費税は別です。多少の予算オーバーは無視しても、物件の完成度を優先する私もこの金額には参りました。参番館で使ったキッチンは機能性に問題はありませんが、あくまでも、アパート向けに企画された量産品、積極的に見せるようなものではありません。工事は既に着工しています。今更、計画変更は出来ません。どうしようか悩んでいた時に、業界大手のキッチンメーカー営業マンT氏が、飛び込み営業に来ました。

 私は、特に期待もせず、T氏の自社製品の説明を聞いていました。既製の商品は市場の最大公約数に基づいて企画されるので、メーカーが違っても、商品に大きな違いはありません。T氏の持参したキッチンカタログにも私が求めたデザインのキッチンは当然、ありませんでした。それで、駄目だと思いつつも、T氏に五番館での私のキッチン計画を説明しました。実はT氏、以前は分譲マンション用のオーダーキッチンをゼネコンから受注する部署にいたのです。私がT氏と会ったのは、不動産不況、リーマンショックの影響で、部署の受注が激減、T氏は工務店からの新規受注を開拓する部署に移動したばかりの頃でした。T氏は私の話を聞き、是非、提案させて下さいと言って、五番館の平面図を持って帰りました。集合住宅用の特注キッチンはT氏の得意分野だったのです。

 後日受取ったT氏の提案はイタリア製のキッチンに比べれば、デザインが多少劣るとは言え、私の期待した以上のものでした。そして価格は予算を上回ったものの、許容の範囲でした。諦めかけていた五番館の見せるキッチンの計画がこの提案で決定しました。朱色の鏡面キッチンです。それに気を良くした私は、T氏に洗面化粧台もオーダーしました。参番館の洗面化粧台は一般住宅用の既製品でしたが、五番館の洗面化粧台は特注キャビネット、カウンターはアクリル、水栓と取手は輸入品です。洗髪機能はありませんが、デザインは優れています。その設備機器において、五番館は参番館から更に発展しました。そして五番館の完成後、飛び込み営業マンのT氏の提案したキッチンと洗面化粧台がその後に受注するプリマの標準品となります。2009年9月、赤煉瓦を使い、英国風の外観デザインのプリマ五番館が完成しました。新たに採用したキッチンの評判も良く、五番館は竣工の一ヶ月後に満室となります。白いペンキで仕上げた腰板にイタリアンレッドのキッチンが鮮やかに映え、私のインテリアとして見せるキッチンの計画が成功しました。


プリマ五番館 ダイニングキッチン

プリマは不思議な建物です。その初期段階において、プリマはまるで意思を持った生き物のように、その数を増やし、進化しました。問題が発生する度に、プリマは必要な時に必要な人と必要な情報を引き寄せました。その度に、問題は自然と解決し、プリマは進化しました。プリマの事業おいて、私はビジネスの世界では有り得ないと思っていた形而上的な体験を何度も経験します。私は偶然と言う名の運命のもと、プリマを企画開発し、気が付けば、私自身が3棟24室のアパートオーナーになっていました。そしてプリマはおそらく日本で初めての規格型の女性専用アパートとして、完成の域に達していました。プリマ壱番館が竣工してから2年目、百年に一度といわれた不況の真最中のことです。


プリマ五番館 赤煉瓦の外壁


コラム02 美しい建物は爆弾よりも強い

 第二次世界大戦の末期、1944年8月、パリ、ドイツ軍のパリ占領司令官コルティッツ将軍は、連合軍の進攻と同時にパリを焼き払えという、ヒトラー総統の命令を受けていた。コルティッツ将軍は工作隊に命じ、パリのエッフェル塔、ルーブル美術館、ノートルダム寺院をはじめ、あらゆる工場、記念碑、橋梁、地下水道などに爆薬を設置させる。やがて、レジスタンスが決起し、市街戦が始まる。市民は武器を手に立ち上がった。そして、連合軍のパリへの進攻が始まる。パリを廃墟にせよとの総司令部指令を受けていたコルティッツ将軍の胸中は揺れていた。ドイツは負ける、その上、この美しい都市パリを焼け野原にするのは耐え難い。ドイツ総司令部からのパリ爆破命令は、コルティッツ将軍次第だったが、彼は終にその命令を実行することなく連合軍に投降する。8月25日、連合軍がパリ市内に入った。ノートルダムの鐘が響き渡り、パリ市民は狂喜して町に溢れ出した。その頃、投降したコルティッツ将軍の部屋の受話器から、甲高いナチス総統ヒトラーの声が叫んでいた。 パリは燃えているか、くりかえす、パリは燃えているか?
 以上はフランスの映画監督ルネ・クレマンの名作“パリは燃えているか”の粗筋です。私はこの映画のことを最近知りました。DVDで販売されていませんので、実際にはまだ観ていないのですが、ネットで史実を調べて、コルティッツ将軍に感銘を受けました。パリを戦火から護ったのはイデオロギーでもなく、正義でもない、レジスタンスでもなければ、連合軍でもない。パリを護ったのはドイツ軍のコルティッツ将軍だったのです。そして、パリを護ったのはコルティッツ将軍にこの街を破壊するには耐え難いと思わせたパリの美しい建物、その街並みだったのです。
 
 思えば、私が学生時代の四年間を過ごし、今は最愛の妻と二人の息子が住む美しい街、京都もまた戦争中に連合軍による空襲がありませんでした。京都を太平洋戦争の戦禍から護ったのもまた連合軍にこの街を破壊するには忍び難いと思わせた京都の歴史が慈しんだその美しい建物であり、その街並みだったのです。ペンは剣よりも強いと言われますが、美しい建物はそれを破壊しようとする爆弾よりも強いのです。私は建物のもつ底力をその可能性を再認識し、一人興奮しました。そして、私が今、非力ながら全身全霊を込め取り組んでいる美しい建物、次世代型集合住宅プリマの事業により強い自信と確信を得たのです。
 戸建て住宅も、アパートも、プレハブの建物を、ローコストの建物を使い捨てる時代は終わりました。これから日本が成熟した豊かな社会へと移行するために最も必要なのは幾世代にもわたり永く住み継がれる社会資産としての住宅です。そして、住宅の資産価値を維持する最も大切な要因が建物の美しさなのです。美しいものはそれを大切にしようとする人の気持ちにより無駄に壊されたりしません。古くなれば手入れされ、自然と長持ちするものなのです。私の家造りの哲学に間違いはありません。

プリマ開発者 AUGUST 中谷光伸氏

アパルトマンが建つパリの街並み



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