その自己イメージ自身が自分を苦しめてる、自分の成長を阻害してる、自分を小さな殻に閉じ込めている
14歳の時、少林寺拳法の道場に入って、高校時代柔道部を経て、東京に出てきて空手の選手をやった。
その頃は自分の身体がボロボロになることがうれしかった。
常に痛みを求めた。
選手引退したのが25歳。
14歳から10年ちょっとの期間、強くなること、試合に勝つことに全精力を費やした。
それは自分なりの自信になった。
時々躓(つまづ)きながら。
それでもめげずに。一生懸命深めた自信。
でも、そんな自信が結局邪魔にしかならないということに気付いたのはここ5年ぐらいだ。
新しいことを始める時、自信という自己イメージが邪魔だ。
居合に出会って無理やり稽古を始めた頃、矛盾しているようだが私は抗っていた。
過去に出来上がった武道に関する己の自己イメージの呪縛は強烈だった。
それは弱さの裏返しだったのかもしれない。
その自己イメージ自身が自分を苦しめてる、
自分の成長を阻害してる、
自分を小さな殻に閉じ込めている
それは明らかだった。
しかし私はその自己イメージに囚われていた。
この呪縛から解放されるのに2年かかった。
私は居合の稽古を始める時、とにかくどんなことがあっても辞めないぞ
と決めていた。
自動的に2年が過ぎていた。
幸い2年で過去の自己イメージがブッ壊れてた。
結局は年月と環境によって自己イメージの破壊に成功したんだ。
自分の歴史、業績、成績、肩書き、もしくはコンプレックス、自己嫌悪、不安、その他諸々を捨て去って、白帯初心者となって先生の教えを請う事が出来るようになっていた。
これは居合に出会ったおかげです。
私はようやく独りで立ったのだ。
組織だの団体だの会社だのグループだの、社長だの先生だの先輩だの後輩だのと言って、己を守るための枠組みを作ってそこに安住している者に何の道の追求ができようか。
常に丸裸になって素直に頭を下げて教えを乞う。
でもこれは思ったよりも難しいものです。
人間って、よっぽど心していない限り傲慢になっていくものですよね。
もしくは、負けてばかり、失敗してばかり、己に全く自信がないという自己イメージを持っている人もたくさんいると思う。
私の30代がまさにそうだった。
でも迷いは直、消えます。
常に自己イメージをブッ壊しながらその瞬間瞬間に開いていくという生き方で道の追求をしたい。
これは武道のみならず、仕事や恋愛においても同じじゃないですかね。
結局は自分から発生しているんだ。何もかも。