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つまり「精神力」というものは実体としてはないのだ。
「精神力」という「力」は実際には追い込まれた時にどうするか判断する心の動きの事ではないだろうか?
「精神」自体は実体のないものであり、「力」といっても何かしら力学的な反応があるわけではない。
つまり「精神力」というものは実体としてはないのだ。
それは土壇場に追い込まれた時「逃げるか?」それとも「死をかけて立ち向かうか?」という場面で「乾坤一擲!死んでやる!」という己への超絶的決断であり、日頃の我慢と覚悟が試される判断だ。
日本男児たるもの「必死の力」「必死の心」は常に養っておくべきである。
だいたい、男の値打ちなんていうのはそこにしかないんじゃないかな。
いざという時に役に立たんような男にはなりたくないものじゃ。
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内面的な面についても同様である。精神や人間教育とは知識のように黒板に書いて教えられるものでは決っしてない。精神力は、実際にその人間を限界近くまて追い込む場を与え、現実の自分を振り返らせ、それによって自分自身の肉体を通じて主体的に身につけさせるものであろう。ならばこそかえって実戦、実戦と生徒を追い込んていく方がなまじ半端な意志では通用しないだけ、本当の意味での精神カ向上に適うのではないだろうか。(本文より抜粋)