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第3献 生かされるということ(前半)

突然ですが『第3献』、今回からカウントしていきます💧

因みに、今回ちと重いです(;∀;)

『僕を形創るもの』✨

プロフィールにも書きましたが
僕が本格的に飲食業界に飛び込んだのは
6年前なのです

それまでは本当に『沢山の経験』をしました

新聞奨学生
ホテルのルームサービス
エステティシャン
ヘアメイク
衣裳部(着付師)
テレフォンOP
審査業務SV
飲食店ホール

一番長かったのが『衣裳部(着付師)』で
20年程やっていました

ドラマ、映画、CM、etc…の衣裳を揃えたり
着物の着付けをしたりしていました

何処にいても『問題児』だった僕が
あんなにも続けられたのは
環境がスゴく良かったのだと思います

男気のあるボス
ハマった『着付け』
スペシャリストが必要な業界
決して同じ日の無い毎日
etc…

沢山の人が関わる撮影の現場は
人見知りの僕には結構キツかったのですが
それ以上に『こんな僕が必要とされる』コトに生き甲斐を感じていたのです

あの20年間で『大人の僕』は形創られたのです

『大好きなものに押し潰される』✨

ヘアメイク時代に着物を覚え
衣裳部で、その才能を開花させた僕は
『着付』を武器に先輩からも一目置かれる存在になりました

しかし長年の『居場所』を
残酷な幕切れで去るコトになります

会社内で『着物の精鋭達』が集まる部署に移動し
僕は『大好きなものに押し潰される』結末になったのです

いや、今考えると、恐らく軽い『発達障害』である僕は
小さなコミュニティの中での微妙な『人間関係』に耐えきれなかったのでしょう

精神的に不安定になった2011年
あの震災で僕の心は
より深い闇に堕ちて行き
職場を去る決意をしました

『運命の福島』✨

僕がなにかと関わる不思議な県『福島』
『新聞奨学生』時代も沢山の同期が『福島出身』
衣裳部を辞めた後には、何故か『福島原発』関係の仕事でSVになりました

日本酒にハマってからは
とある福島の蔵元を追いかけ

そして、今の店をやる切っ掛けも『福島の会津』が絡んでる(*´∀`)

で、衣裳部を辞める引き金
(と言っても僕に実害は無い)となった震災後
『僕は何をしたら良いんだろう…』
と、全国的な節電ムードの中
電気を消した暗い部屋で
布団を被り『心の闇』をさ迷っておりました

そこに架かってきた電話が『福島原発』関係の『とあるセンター』のSV募集でした

神様、なるほど…
府に落ち落ちたのです

つづく✨(*´∀`)

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