「新日本風土記」から「私を見つける」 ~「風土記」ってそもそもなんでしたっけ~
NHKのドキュメンタリー番組「新日本風土記」。僕が、唯一毎回録画している番組です。
「風土記」といえば歴史の教科書でその名前を聞いたことがある人は多いと思います。教科書では、「奈良時代に、地方の国ごとに、自然、産物、伝説などをまとめたもの」といった具合に説明されています。
2011年から10年以上放送されているこの番組も、毎回一つの地域の自然や風習に焦点を当てて紹介します。多くの回は祭りや文化などの担い手の日々の暮らしや祭りに向けた苦労を丁寧に拾い上げ、それを祭り本番に昇華させるという構成になっていますが、祭りそのものが客体というよりは、その祭りを取り巻く住民個人の背景や心情に焦点を当てているところがこの番組の魅力です。構成だけでなく、映像・音楽も素晴らしくNHKの『現代における「風土記」を作り上げるぞ』という強い意志を感じる良質なドキュメンタリーだと思います。
僕が一番気に入っている「佃」の回では、佃島の伝統的な祭事である住吉神社の3年に一回の大祭を取り仕切る「住吉講」に焦点が当てられています。冒頭、住吉講の最年長男性(90代)がインタビューに応じ、祭りに対する思いを語りますが、その後道路を歩く姿は弱弱しく、補助車なしでは倒れてしまいそうです。幼馴染の女性からは「あんた大丈夫かい?もっとしっかりしないと死んじゃうよ」と冗談交じりに励まされます。住吉大社に腰掛け「また祭りの時まで生きていたいなあ」とつぶやくのですが、その目には色彩がなく、とても祭りに参加できる人には見えません。
祭り当日、住吉講の若衆がこの最古参のところに神輿を運び、全員で支えながら一緒に担がせてあげます。その時現れた老人の目は、インタビューを受けていた時の光を失った目ではなく、まさに祭りに挑む力のこもった男の目をしていました。そして神輿に触れた瞬間、これ以上ないくらいの笑顔を浮かべるのです。神輿を担ぎ終え、家路につく老人がつぶやいた「また祭りの時まで生きていかないといけないな」という言葉は、前のシーンとは異なり生命力にあふれていました。
シーンは変わり、今度は、祭りに一緒に参加する60歳の父親と25歳の息子に焦点が当たります。この親子、住吉講の中では息子が先輩にあたり、60歳の父親はその年に初めて祭りに参加するというのです。住吉講で、幼さの残る他の新人に混じり、60歳の父親も新入りの挨拶をし、そして雑用や力仕事をこなしていきます。同じ住吉講の仲間となることで、改めて息子の頼もしさを感じるとともに、自らも地域社会の一員として認められた感覚を持った父親の顔は恥じらいの中にも達成感を感じているように見えました。
この父親は、なぜ60歳になって住吉講に参加しようと思ったのでしょうか。番組の中では、「息子が10代で住吉講に入って祭りに参加しているのがずっと羨ましかった」と話しています。日々の仕事に追われ、地域社会に溶け込むことなく過ごしてきた数十年間はこの父親にとって、辛い時間だったのかもしれません。そんな中、還暦を迎えたのを機に一念発起、住吉講に飛び込んだわけです。すごく勇気のいることだと思います。
ただ、このエピソードに僕は複雑な気持ちになりました。現代社会において、家庭や職場以外に居場所を置くことの困難さを目の当たりにしたような気がしたからです。
僕も、あの老人のように、人生の最後に若衆に囲まれて神輿を担ぐことができたらどんな素晴らしい人生だろうかと憧れますし、若衆の立場でその場にいたならば、心震える思いだったと思います。
けれど、今僕が佃島に引っ越したとしても、かつてのあの父親と同じように、息子が祭りに参加するのを羨ましがることしかできないだろうと思うのです。この番組には映されていない、地域の日常のしがらみなどを想像すると尚更そう思います。現実に、佃島には15,000人の住民がいるのですが、住吉講に入っているのは300人程度という事実もあります。
このように考えてみると、「新日本風土記」に込められたメッセージは、「風土記」のそれとはずいぶん異なっているのかもしれません。
ここで、もう一度「風土記」とはなんであったのかを振り返ってみたいと思います。最初に、『教科書では、「奈良時代に、地方の国ごとに、自然、産物、伝説などをまとめたもの」といった具合に説明されています。』と述べました。これだけだと、なにか紀行文や旅行ガイドを編集したもののように聞こえますね。しかし、実際には、天皇の勅命により、中央から地方にそれぞれの国状報告書の提出を求め、その回答を編纂したものなのです。今でいえば国から都道府県に人口や地名、産業の状況の調査を行っているようなイメージです。当時の人からすれば、歴史的にこれを保存することは主たる目的ではなく、単純に今後、日本国中を治めていくうえで、必要となる情報収集を行ったというものでしょう。「風土記」は中央による国家統治をより進めていくための前向きな(野心的な)意図により作られたものだったと私は思います。
一方、「新日本風土記」オープニングでは、松たか子さんのナレーションがこう伝えます。「風の中に、土のにおいに、もういちど日本を見つける。私を見つける。」。「もういちど日本を見つける」という言葉は、「見失われた日本がある」というメッセージとも読めます。「見失われた日本」とはなんでしょうか。このことは番組を見ると明らかで、家庭でも職場でもない、地域住民が共有する文化や風習です。農耕社会の中で生まれ、近代国家の成立以降、急速にその重力を失いつづけているものです。この「見失われた日本」を記録し、伝えることが「新日本風土記」の目的なのだと思います。
このように、「風土記」と「新日本風土記」の大きな違いは、国家発展のための進行形の調査報告か、失われつつある文化・風習の伝承かという点にあるのだということが分かります。
「風土記」が編纂された背景、つまり国家統治のための調査というのは非常に単純でよく理解できます。ではなぜ、「新日本風土記」は作られ、そして、こうも僕の心を打つのでしょうか。
僕自身の内面と向き合って考えてみると、そこには「そうなりたかったけどなれなかった」という感情があるように思いました。親やその前の世代がしっかり受け継いできた文化・風習を全うできていない自分に対するうしろめたさがあり、それゆえに、地域に残り、しっかりと伝承を続けている人の姿に心打たれるのだと感じるのです。今の時代に、生まれ育った故郷に住み続ける(られる)人は本当に一握りで、多くの日本人は私と同じような感情を持ち合わせているのではないでしょうか。
そんな感情を認識し、それを乗り越えるために、あの父親のように年を取ってからでも地域に飛び込んでいくことで解消することもいいと思います。逆に、そのような劣等感に近い感情をバネに家庭や職場に対する思いをより一層強くすることもいいと思います。そのように、無風だったところに、この番組の映し出す「そうなりたかった」理想の姿を眺めることで、何らかの変化の風を吹かせることが「私を見つける」ということなのかもしれないなあと思います。
そんなことを思いながら、今週も録画した番組を見ることを楽しみにしています。