コロナ禍でも果敢に挑戦した日本代表選手
2021年1月31日に米ハワイ州のホノルルにあるアロハスタジアムで全米学生アメフトオールスター戦「Hula Bowl」(フラボウル)が行われ、8期生の坊農賢吾さんが日本代表として出場しました。2月8日、「Hula Bowl」を経験し、ハワイで1週間過ごしてきた坊農さんに、10期生の西尾僚介と柳井竜太朗はインタビューし、ハワイでの体験や世界に挑戦して気づいたことなどについて聞きました。
*坊農賢吾さんは大学スポーツコンソーシアムKANSAI(KCAA)が大学スポーツに関わる活動のモデルとなりうる個人活動実績を表彰する『KCAA大学スポーツ奨励賞』、関西大学「体育振興大島鎌吉スポーツ文化賞」を受賞しました。
「Hula Bowl 2021」に日本から2人の選手が出場しましたが、日本代表として選ばれた時の気持ちは?
オファーを頂いたときは、大学でやってきたことの集大成として、成果を出すことのできる機会だと思った。そのため、ありがたいという気持ちと嬉しさがあった。意気込みとしては、誰しもに与えられる機会ではないので、全力でやってやろうという気持ちだった。自分の力がどれだけ通用するのか試したかったのと同時に、限られたチャンスを最大限に活かそうという思いだった。
コロナ禍でのハワイへの移動となりましたが、不自由だと感じたことは?
移動に関して不自由だと感じることはなかった。ハワイに入るにあたっては、現地到着72時間前にPCR検査を受けて陰性証明の提出が必要であったが、現地に到着してからの移動では特に問題はなかった。
コロナ禍のハワイの状況を教えてください。
出発前は周りの人に心配されたが、日本以上に感染対策が行われており、現地での不安はほとんどなかった。街を歩く時はマスク着用が徹底されており、飲食店やショッピングセンターでは感染対策がしっかり行われていた。ハワイは独立した島でPCR検査の陰性証明を持っている人のみ入島できる状態だったので、アメリカ本土のようにコロナウイルスが蔓延している状況ではない。ハワイに行った時は感染者数が1日数十人で推移していた。ハワイにいたらコロナウイルスの感染拡大を忘れてしまうほど、日常を取り戻していた。
ハワイでのプレーにおいて困ったことはありましたか。
気候への対応が難しかった。日本とは気温差が約20度以上あったので、熱中症になってしまった。頭がふらっとしたり、耳が一時的に聞こえなくなったりと初日は厳しい環境のなかでの練習になった。時差にも悩まされた。どうしても寝れず、初日は2時間しか寝られなかった。
日本とアメリカで、アメリカンフットボールに対する学生の意識の違いはありましたか。
一番の違いはプロを見据えているか、いないかだと思う。日本の場合、学生選手は(卒業後の)延長線を意識していない人が多い。学生フットボールという枠組みのなかでの、ナンバーワンを目指す意識が働いてしまっている。一方でアメリカの学生選手は学生スポーツを越えて、プロになるためにはどうすればよいかということを意識していた。そのため、プレーを通してしっかりアピールをする。
文化面でも大きな違いがあった。オーバーセレブレーションは想像以上だった。少しでもいいプレーをするとオーバーセレブレーションが起きる。良いプレーに対してはみんなで喜びあう文化は、日本と大きく違っていた点だ。また、アメリカでは「待っていても誰も教えてくれない」。個人のレベルに関係なく、上手くなりたいという姿勢を持つことで、コーチは情熱を持って教えてくれる。コーチに対して自分の意見をはっきりと伝えることもアメリカの学生選手の特徴だ。選手も監督も「いいプライド」をもってプレーしている。さすがプロ集団だと感じた。そのプライドが日本人の学生フットボール選手に足りないことだと思う。
アメリカ人の選手はどんな人がいましたか。
アメリカ人だからといって全員が派手なオーバーセレブレーションをするわけではない。練習開始30分前から目を閉じて音楽を聴いている選手がいた一方で、選手同士でたたき合ったりとわちゃわちゃする選手がいた。
日本国内でアメリカ文化を取り入れたゲームを実現するために何が必要だと思いますか。
日本では静かにしている、つまり、サムライ魂が重要視される傾向がある。私自身、アメリカでプレーをしてきて、日本にオーバーセレブレーションがないことに違和感を覚えた。とはいえ、なにが正解なのかは私も分からない。実際は、アメリカ人選手全員がオーバーセレブレーションのような大胆に喜ぶ文化を好んでいるわけではないと考えている。派手に喜ぶよりは、日本のような静かにクールに決めるスタイルを好むアメリカ人選手もいると思う。これからは海外でフットボールを経験した日本人選手がどのように日本国内でフットボール界の活況に導くのか、その点でもプレー文化を考えることは大切である。
日本代表として参加した時のアメリカ人の反応はどんな感じでしたか。
全米からトップの選手が集まるなかで「日本人選手はどれだけできるんや」と、日本人選手としてのレベルを気にされているように感じた。期待されていないのではないかという思いもあったが、注目されているということだけでも嬉しかった。アメリカでは自分から発信しないと、名前すら覚えてもらえない。オールスターゲームに参加した選手でもそんな選手は存在する。しかし、私の場合は周りの選手やコーチが積極的に声をかけてくれたこともあり、見てくれているだけでも既にアドバンテージがあると思った。
現地での友だち作りやコミュニケーションはどのような工夫をしましたか。
ハワイという海外でプレーする以上、言語の壁はどうしても存在する。ミーティングの大枠は理解できたが、詳細な情報となってくると理解が難しいことがあった。とはいえ、ミーティング後に同じチーム内の選手に聞くと、丁寧に教えてくれたのでなんとか乗り切ることができた。
宿泊用のホテルやチーム内ではアメリカ本土のスピードで英語が話されるため、その点がさらに理解の困難につながった。観光地では、簡単な日本語やゆっくり話してくれるなどの配慮がなされるが、現場ではそんなことはなかった。そんななか、ネイト・ホップズという選手が私を助けてくれた。いきなり、「マイブラザー」と声をかけてくれた選手だ。私が聞き取れなかった英語を、もう一度ゆっくりと繰り返してくれた。さらに、親切にグーグル翻訳を利用して、理解を促してくれた。彼とはホテルから練習場へ向かうバスで一緒になり、友だちになった。彼は日本の文化や食について興味があったようだ。全体的にチーム内の選手はみんな優しかった。フットボールのプレー中は自分から積極的に声をかけ、行動することがアメリカでは求められたが、日常生活の場面に置いては待っていても相手から積極的に声をかけてくれた。他の選手とは仲良く楽しく、ハワイで生活を送ることができた。
練習時間以外はどんなことをして過ごしていましたか。
今年はコロナ禍ということもあり、例年とは異なったスケジュールだった。午前中は練習をして、午後からは自由な時間を過ごすことができた。自転車をレンタルして、ショッピングセンターやアウトレットモールで買い物を楽しんだ。電動で動くキックボードで海沿いの道を走ったり、海に泳ぎに出かけたりと、ハワイを満喫して過ごすことができた。
ハワイでプレーをしてきて、得られたものはなんですか。
こわいものがなくなり、自信がついた。自分の思っていることが伝えられないもどかしさを経験したからこそ、今後の行動にも自信をもつことができると考えている。積極的にいく重要性を学ぶことができた。
アメリカでプレーをしたからこそ、アメフトの楽しさを再度実感することができた。日本という枠組みのなかでプレーをしていては得られないものが得られた。やはり、レベルは高かった。実際にアメリカでプレーをして自分の実力がどれほど通用するのか分かった。今後はアメリカ人選手と対等に戦えるように成長していきたい。
ゼミ生や学校関係者、OBの方など、いろんな人に応援していただいたので、次は自分が得たものを関西大学のアメフトの後輩や後輩のゼミ生などに還元したい。モチベーションの維持方法、取り組み方などアメリカでプレーしてきたからこそ、伝えられるものがある。関西大学のフットボール部の後輩にも直接伝えられるように行動したい。そのような、伝える活動を通して、今後は日本のアメリカンフットボール界にいい影響を与えられるように頑張りたい。(執筆:西尾僚介)