わんとワンの物語 8
わたしは一番末っ子で一番小さいから5号なのだそうです。わたしは小さいのでこの塀を越えるのもひと苦労です。この塀を超えるのはとても勇気が必要です。なぜなら、この塀のむこう側にはたくさんのカナシミがあるからです。
わたしが水の宇宙で掬った最初のキオクはヒロシマでした。
806の時、わたしはホウシャノーの海にいました。たくさんのカクが落とされてたくさんのニンゲンとワンが死んでいきました。ニンゲンが発明するモノはすべて最後は人殺しの道具になる、とワン父が言ってました。でもこのカクは最初からニンゲンがニンゲンを殺すために造られたモノです。100個のニンゲンを救うために10個のニンゲンを殺しました。でも、1000個が死んでも1個が死んでもわたしのカナシミの量は変わりません。わたしの母はわたしを助けるためにわたしの上に覆いかぶさりました。たくさんのニンゲンが母の上を歩いていきました。全身の皮膚がただれたニンゲン。目玉が飛びだしたニンゲン。片腕がないニンゲン。焼けこげて真っ黒になったニンゲン。それは幽霊のようにゆらりゆらりと揺れながらわたしたちの上を通りすぎていきました。わたしは母の下からそれを覗きながら、あぁこのニンゲンたちはもうすぐ死ぬんだなと思いました。そして、わたしの上にいる母ももうすぐ死ぬんだなと思いました。わたしの両足は無くなっていました。でもイタミはありません。たぶん母もイタミはないのでしょう。わたしももうすぐ死ぬのだと思います。わたしは母から流れる涙と血を啜りながら生きました。母はわたしのためにたくさんの血と涙を流してくれました。わたしは母の分も生きようと思いました。母は血も涙も枯れてしまうと小便をしてそれをわたしに飲ませてくれました。わたしはたくさんの母を飲みました。そして、3日目の朝にわたしは死にました。
そのとき初めてわたしにイタミの感情ができました。そしてカナシミはさらに深くなりました。