★極道学園(570)
仙台で青葉さんと働く毎日がスタートした。
まずは関東研修だ。龍神組のシノギのすべてを見せる必要がある。
埼玉の愛農、上野の極道学園、安孫子キャンパスを見せたら一日目が終わってしまった。青葉さんはさかんにメモを取っていた。
夜は太田、赤坂、物井を呼んでシゲの店で青葉さんの歓迎会をやった。ポン社長、サンチョウさん、直子先生も途中から参加した。たいへん和やかな宴会で青葉さんは皆と楽しそうに会話していた。
俺の隣に座った直子先生が「とっても素敵な方ですね」と耳元で囁き、にっこり笑った。ポン社長もサンチョウさんも青葉さんを気に入ったようだ。
青葉さんは、さすが元飲み屋のママだけあって酒が強い。表情、言葉遣い、全く変わらず、であった。ホステスとして有能であることは間違いない。しかし経営者としては全く未知数だ。自営業、バイト数名の雇用という経験はあるが従業員百名の会社を経営した経験はないのだ。
しかし、簿記は知っている。何故なら、彼女は仙台商業の出身で高校時代に簿記二級を取得しているのだ。企業会計を良く知っているというのは彼女の強みの一つである。現在、工藤組の中で企業会計に詳しい人間はいない。会計処理はすべて地元の荒巻税理事務所に外注している。本来、企業側に会計専門家がいないのは良くない。税理士の言いなりになってしまうからだ。俺は太田、赤坂、物井に企業会計の仕組みを教えたので彼らは財務諸表をちゃんと読める。
翌日は九十九里港から小船を出して海上ホテル、病院、刑務所、牧場、農場を見せた。青葉さんは全く船酔いしないことが分かった。酒の強さと関係があるのかもしれない。工藤組の魚が各所でどのように使われているか、彼女は良く理解できたはずだ。
海上レストランでコイケ、イタハナに青葉さんを紹介した。病院ではサトジュン、工藤組長に彼女を紹介した。工藤組長には事前に太田が詳しく採用経緯を説明していたのでなんら問題ない。工藤組長は青葉さんを見るなりいきなりベッドから降りて土下座をして「ふつつか者ばかりですがうちの者たちをどうかよろしくお願いします」と言った。青葉さんはたいへん驚いていた。極道が、しかも組長が女性に頭を下げるのは極めて異例である。我々は古い世界に生きている。
宮城での青葉さんの大事な仕事は工藤組の主な収益源である漁業をしっかり管理、主導することである。工藤組は漁船をいくつか所有しており、現在百人の組員の八割が日常的に海上で過ごしている。養殖工場で働く者たちもいる。彼らとのコミュニケーションが悪ければ工藤組の漁業は徐々に衰退するだろう。誰だって、嫌な上司の下では働きたくない。
組員たちの気持ちがバラバラにならないよう創意工夫が必要だ。不漁の日があっても腐らず落ち込まず、皆を励まし続けなければならない。俺は早朝、トリトンに青葉さんを乗せて海釣りのやり方を教えた。青葉さんは鰯を二匹釣りあげて幼児のようにキャッキャと歓喜していた。
最終日は安孫子栗鳥ズの紅白戦を観戦し、五回途中で球場をあとにした。村西監督は試合の途中なのにわざわざ球場の外に出て俺たちを見送ってくれた。我々は浦和ICから東北自動車に乗り仙台に戻った。
青葉さんが住んでいる古いマンションは仙台駅からタクシーで10分ぐらいだ。彼女はそこで一人暮らしをしている。マンションの隣の焼鳥屋で飲みながら、あなた、この先、誰かと結婚する予定はあるんですか?と聞いたら「親分のような男性を見つけたら明日にでも結婚します」と答えて微笑した。なるほど、これか。この笑顔に脳を犯されてママの虜になった老人が仙台に50人くらい、いるだろうと思った。(笑)
今回の研修では造船部門のみ見せて、我々の建設部門を見せなかった。いずれはport99内での建設部門の仕事が減っていくだろうし、仙台で建設部門を立ち上げる予定もないからだ。仙台には道路、ビルを建設する業者がたくさんいて過当競争だと太田が言っていた。だいたいの工事はゼネコン数社が仕切っていて、我々独立系が入り込む隙間はない、と。
工藤組はしばらくの間、魚介類の捕獲、そして養殖を主なシノギとしてやっていけば良い。活きの良い魚をたくさん捕り、育て、それをport99に持ち込んで高い値段で売る、それが工藤組のミッションである。
数日青葉さんとまるで恋人同士のように過ごし、俺は青葉さんをかなり気に入った。彼女が扇の要になり、工藤組の組員たちの心を一つにする。要の求心力が弱ければ扇はバラバラになる。俺は青葉さんの成功を強く願った。そして青葉さんを全力でサポートしたいと心底思った。