★国語教師(55)

僕の授業はグループワークを多用しているため生徒が他者の話を聞いたり自分の考えを述べたりする機会が多いんですよ。通常の、一般的な授業というのは一対nで、一人がn人に向かって話す、というStyleが一般的です。僕の授業の場合、クラスは八つに分割され、各生徒が話をする機会が多くなる。

もちろん講師の話をじっくり聞くというのはとても大事な経験です。しかし、僕は自分の考えを他者たちに向かって述べるという体験も重視しています。

僕の授業の問題点は、それぞれが「自分の考えを書く」という体験が少ないことです。これは僕が若い頃から認識していた問題で、要は作文の宿題がほとんどないんですよ。理由は単純で、各生徒の作文を読む時間を節約したいからです。

本当は頻繁に作文の宿題を出せばいいんですけどね。しかしそれをやれば僕の時間が大量に消費される。これは非常に悩ましい問題です。誰か添削アプリみたいな便利なソフトウェアを開発してくれないだろうか。

・文章を流し込む。
・その文章の誤字脱字を指摘する。
・内容について高いレベルで評価を行う

まさに人口知能ですよね。睦美に聞いたところ、誤字脱字の指摘ぐらい
だったらチャットGPTがかなりの正確度でやってくれると思う、しかし、作文の内容についての評価はどうかなあ、と彼女は述べていました。

400詰め原稿用紙二枚の課題を毎週出す、一学年200名の生徒から毎週毎週、800字の原稿が届いたら、僕はパンクしてしまいます。過労死です。僕は一人一人の作文と真剣に向き合いたいんですよね。だから、現状では作文の宿題を出せません。

800字の作文の査読に最低、30分使いたい。すると30分×200で、毎週6000分、100時間が必要です。土日も休まず査読をやったとして一日14時間以上必要。

国語の先生の中には生徒が一生懸命書いた長文を真剣に読まず、飛ばし読みして、いい加減な評価をする人物がたくさんいることを僕は知っています。しかし僕はそのようなデタラメなことをやりたくない。生徒に失礼だ。なので作文の宿題は決して出しません。

結果、生徒の「自分の考えをわかりやすく、自由自在に書ける」という能力開発において自分は全くの無力だという残念な気持ちを消し去ることができなくなっている。

このモヤモヤ感は生徒の数が減れば少しは解決に向かうでしょうが、今のところ、うちの学校は都内でそれなりに人気があり、生徒募集には全く苦労しておりません。進学校ではない、ということが一種のウリになってるんですよ。

現代の子供はLINE、Twitter、Instagramなどの利用により短文を書く、読む能力は昔の子供に比べて十分にあると思いますね。しかし、知能の発達という側面から熟考したとき、果たして短文の読み書きだけで十分なのだろうか。その点についてわずかな疑問は消えません。若い頃は特に、難解な、哲学的な長文と格闘する、という体験も大事なのではないか。赤川次郎的な文章ばかり読んでいたら脳細胞が死ぬのではないか。(笑)

一方、読書愛好会の生徒は長文の読み書きに何ら抵抗がない子が大半で、しょっちゅう自分が作成した書評をコピーし、メンバーに配ったりしてますね。それを読むのがすごく楽しいです。

書評は一週間前に各メンバーに配布するルールです。だから読む時間はたっぷりある。長さに制限が全くないため、1000字、2000字は当たり前。内容については、高校生だと思って馬鹿にはできませんよ。今までかなりレベルの高い文章をたくさん読みました。これ、ホントに高校生なの?ここまで深く読んだの?と感動すら覚えます。

それらの書評はすべて大事に保管してあります。僕の宝物で、今まで何度も教材として使いました。

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