★国語教師(66)
俳句というのは比較的歴史が新しく、流れとしては
和歌→連歌→俳諧連歌(連句)→俳諧の発句→俳句の成立、と言われています。和歌が俳句のお母さん、という感じですかね。生徒にはそのように教えています。日本文学、マメ知識。(笑)
【平安時代から次第に形成された和歌言語は南北朝時代の連歌式目の制定で一層完成された。
一方で室町時代になると応仁の乱などの社会的混乱から優雅な貴族文化が失われるとともに俳諧連歌が盛んになった。
正統の連歌から分岐して成立した俳諧連歌は遊戯性を高めたもので、連歌の雅語に加えて俗語を導入し、江戸時代に入ると松永貞徳によって大成され(貞門派)、さらに西山宗因などの談林派が現れた。
その作者も貴族、武士、僧侶だけでなく、大都市の商人や職人、地方の農民にまで広がった。
17世紀に松尾芭蕉が出ると発句(最初の句)の独立性の強い芸術性の高い句風(蕉風)が確立され、後世の俳句に影響を与えた。
明治時代に入り、正岡子規が幕末から明治初期のありふれた作風を「月並俳句(月並俳諧)」と呼んで批判し、1893年(明治26年)に『芭蕉雑談』「連俳非文学論」を発表、「発句は文学なり、連俳は文学に非ず」と述べ、俳諧から発句を独立させた。
これ以降「俳句」の語が一般に用いられ、以降近現代の俳句につながるようになった。】(Wikipediaから引用)
正岡子規は俳句世界における革命家みたいなものですかね。古来の常識に異を唱えたわけですから。月並みじゃダメなんだ、というのは大した気概ですよね。芸術家としてのプライドを感じます。正岡子規によって、だんだん庶民寄りになってきた俳句の芸術性というか、質がググッと上がったのではないでしょうか。漫才でも文化功労賞が取れますよ、みたいな、画期的な進歩です。
さて正岡子規の大親友である夏目漱石は小説家として著名になる前に、既に俳句世界で有名人だったのです。
【漱石が明治33年(1900年)9月に文部省の派遣でイギリス留学に出発したときには、在京の寺田寅彦は、「先生が洋行するので横浜へ見送りに行つた。船はロイド社のプロイセン号であつた。
(中略)
「秋風の一人を吹くや海の上」
といふ句を端書に書いて神戸からよこされた」(「夏目漱石先生の追憶」)】(熊本県立大学図書館による説明文から引用)
「秋風の一人を吹くや海の上」、
なんだかちょっと不安というか、孤独感、心細い、切ない感じが伝わって来る俳句ですね。初めての海外旅行でかなり緊張している感じがします。
以前、寺田と漱石の、俳句に関する問答を引用しました。再び引用してみましょう。
【自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。
「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」
「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」
「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」
「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳い句である。」
「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」
こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった】(「夏目漱石先生の思い出」から引用)
575、十七文字で描く世界。僕は決して生徒に俳句作りを勧めませんよ。自分がやっていないことを生徒に推薦することはできませんので。
徳川家康も俳句を詠んでますね。
鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ほととぎす
これ、本当に家康自身が詠んだ句なのかどうか、わかりませんね。後世の人々の作り話かもしれません。
授業で俳句について解説するのは年一回だけです。理由は単純で、授業が全く盛り上がらないからです。(笑)
俳句が描くワビサビの世界を高校生が理解するのはちょっと難しいかもしれないです。人生の経験値が高ければ高いほど、俳句を楽しめると思うんですよね。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)
述べている内容は、「柿を食べていたら遠くから鐘の音が聞こえてきました。たぶん法隆寺の鐘であろう」ということ。
ん?
それがどうした?(笑)
このように思う人もたくさんいるでしょうね。しかしこの俳句は正岡子規の代表作として非常に有名なのです。
無名の小学生が「柿食えば」と詠んでも世に埋もれるんじゃないですか。しかし俳句の大家である正岡子規が詠めば絶賛されるんですよね。
世の芸術作品というのは作者が有名であればあるほど評価が高まるんじゃないでしょうか。本当の審美眼というのは「誰が作ったか」という情報を脳内から消して作品の本質を見抜ける力なのかもしれません。
村上春樹が書いた作品は全部大好きという人はある意味、微笑ましいですが、なんだか村上教の信者というか、教祖さまが書いたものはすべて満点という、盲目的な愛、という感じがします。