★極道学園(583)

金持ちは貧乏人を踏み潰して自分の財産を増やす。

以前も述べたが極道学園の近くに小さな八百屋があり老夫婦が仲良く二人で、こじんまりと営業していた。ところが店の近くに大きなスーパーができて、この八百屋は閉店に追い込まれたのだ。俺たちはたいへん気の毒に思ったがどうすることもできなかった。

先日、ゼツボー教団を見学し、信者たちと夕食を共にしたわけだが、みな優しく親切で、清らかな人柄であった。

入会にあたり審査があり、だいたいの人は強く入会意思を伝えれば施設に入ることができる。原則、持っている財産はすべて現金化して教団に寄付するルールなのだが、中には極貧で全く財産を持っていない人もいる。そのような人でもイシノリ教祖の最終面接に合格すればゼツボー教団のメンバーになることができるのだ。

本家とも言えるジャイナ教信者たちの中にはゼツボー教を批判し、あれはジャイナ教とは全く関係ない、異端であるという信者もいるそうだ。なぜなら本家ジャイナ教では許されない、肉、魚の食事を認めているほか、衣服の着用など、ジャイナ教が禁じていることをたくさん許しているからだ。

しかしイシノリ教祖の考えはあくでもジャイナ教との共存である。俺たちはちょっとだけ考えが合わないが、兄弟だと。争いは避けたいね、と。

実はジャイナ教の厳しい戒律に堪えられずゼツボー教に入会するインド人も少なからずいるのだ。南インド支部にはそのような人が二十名くらい、いると聞いた。

イシノリ教祖とは結局、会えなかった。しかしゴゲンとはいろんな話ができ、教団の反社会性は皆無だと分かった。若干、共産主義的な運営をしているがこれは俺たち龍神組も同じなので特に違和感はない。

今後、ゼツボー教とどのような付き合いをすればいいのか、まだアイデアは浮かばないが彼らが熱心にやっているビジネスには興味がある。

具体的には彼らが開発した豆肉である。豆を使って肉そっくりの食感を実現している。これは既に世界中で開発されている食品であり、ベジタリアンにも好まれる製品だがそれを安く大量に生産する技術を持っているのだ。

コイケに頼み、彼らから分けてもらった豆肉を使ってハンバーグを作って何も言わず組員たちに食べさせたら、彼らは美味い、美味いと食べた。これは豆から作った肉なんだよと種明かししたら、彼らはかなり驚いていた。

ゼツボー教団は信者を積極的に募集していない。教祖は本を書かないし、有名人を広告塔に使わない。ゴゲンに、なぜ?と尋ねたらゴゲンは言った。「オヤブンハ セイケイって、知ってます?」

ん?

セイケイ?

ゴゲンは達筆でホワイトボードに成蹊、と書いた。俺はもちろん知っている。ちなみに成蹊大学は安倍晋三さんの母校だ。

美味しい果実が実る木にはごく自然に人や動物が集まる。そのうち、木に向かう道ができる。つまりは、そういうことです。

そのようにゴゲンは語った。

なるほど、そういうことか。製品自体が優れていれば広告、マーケティングなどは一切不要、口コミで売上は上がる、ということだな。

実際、信者たちに聞いたらゼツボー教団を知ったきっかけは友人知人、家族、親戚からの紹介とのこと。教団での生活を毎日blogに綴っている女性信者がいて、読者数は10万人いるそうだ。

オーム真理教は入信した信者の家族から訴訟を起こされたという事案が多発した。しかしゼツボー真理教の場合、そのような事案は皆無だ。おそらく一次審査の段階でゴゲンがちゃんと家族との揉め事が発生する可能性があるかどうか注意を払っているのだろう。 

先日は宮城に住む78歳の老人が入会したそうだ。彼は事業で大成功して土地、家屋、預貯金、株券、高級外車数台、別荘。総額七億円の財産があり、そのすべてを教団に寄付した。余生は静かに埼玉で暮らしたい、と老人は述べたそうだ。

人生に絶望した、などと言うと、the endというか、あとは死ぬしかない、みたいな感じで世の中の大半の人々は絶望という言葉をすごくネガティブに捉えていると思う。しかしゼツボー教の考えに従えば、絶望とは、心の安寧に至る早道なのである。なんら願わず、欲せず、期待せず。一切のwantを排し、ひたすら心を無にして毎日を過ごす。他者に奉仕する。そのような考え方なんだな、と理解した。

農夫は毎日の晴天を願うが、それは作物をたくさん作り、儲けたいという欲があるからだ。雨が続くと農夫は悲しむ。収穫に悪影響だと。しかし、世の中には雨が降って喜ぶ生物もたくさんいるのだ。よって、晴天の日は天に感謝し、雨の日も天に感謝する。これがゼツボー教の真髄なのである。

自分の不幸は他者の幸せになる場合がある、ということかな。

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