皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.2〜いざ入国〜
2014年3月31日、期待と不安を胸に、、と言いたいところでしたが不安
100%でした。
行きの飛行機の中は「日本楽しかったなぁ」「いつ次帰れるんだろう」そんなことばかりだった。
入国審査で別室へ呼ばれる
ちなみに僕は全く英語が喋れませんでした。
ペルーでスペイン語を学んだせいで外国人と話すときは英語ではなくスペイン語が出てくるくらいです。
でも英語なんて住んでれば勝手に覚えるでしょ!そんな感じでした。
入国審査は何を聞かれてんのか全くわからないまま「あっち行け」と指示されました。その「あっち」にいた人も何言ってるのか分からぬまま指紋採取してなんとか終わりました。
オーナーのお迎え
空港ではビザを申請してくれたオーナーが迎えに来てくれました。
車中では「俺が辞めないでって言われるように頑張れよ」と強く言われたのを覚えています。契約は3年間だったのでビザを取ってもらったお礼も含めて一生懸命働いて最終的に絶対にはそうなってやろうという思いが強かったです!
そのままベッドだけ買ってもらってとりあえずタイ人の家に2週間だけ住まわせてもらえることになりました。
出勤初日はスペイン語で乗り切る!?
キッチンや寿司バーを覗いてみれば全員中米人でした。
メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルなどなど。
ここで日本人がスペイン語(全く完璧ではない)を話すことによって速攻打ち解けました!本当に学んでいてよかったと思いました。
ただこのお陰で今現在英語力がそんなに伸びていないのは悲しい話ですが、、
働いてたお店のお寿司
まず最初に割り当てられた仕事は皿洗い
僕みたいな新人は日本人でも皿洗いのようです。キッチンにも寿司バーにも10年以上働いているドンがいるので、まずはキッチンのドンの言うことを聞きます。
仕事内容は皿洗いの他にサラダ系、掃除、鶏肉の下処理などキホン雑用とシャリ炊き、シャリ切りもやります。
シャリ切りはキッチンの一番下っ端のホンジュラス人の方に教えてもらい日本人として複雑でしたが彼は上手にシャリ切りしてました。
寿司バーのドンが作り出した芸術品。器用ですよね。
ある日突然寿司バーで働く許可を得る
オーナーから「そろそろ寿司バー行くか?」と言われ晴れて皿洗い卒業しました。
雑用ポジションから約3ヶ月後のことでした。
寿司バーのドンはメキシコ人でしたがかなり癖が強く気に食わないことがあれば見捨てます。
とりあえず見捨てられないように食らいつくのみだったけど与えられたポジションは寿司ではなく横にあるグリルでの焼き物でした。炉端焼きのような感じです。
左側が炉端、右側が寿司バーです。
ここでまた色々な苦悩の連続でした。