Ryu Hirosoko

在米8年目 寿司シェフ|国際結婚|アメリカ生活|旅。 ゆくゆくは日本に帰国して父の居酒屋を継いで成功するのが夢!

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    仕事とか食べたやつとか🍣

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英語が完璧じゃない上での接客について

アメリカに来て8年目、今まで英語に対しての劣等感が酷かったです。 これは海外在住者ならわかる方にはわかると思いますが、時間が経てば経つほど上手く喋れない事に劣等感を感じます。 なぜこれだけ海外生活しているのに喋れないんだと。 ただ、長くいればしゃべれるなんて事は一切ありません。 日本にいても海外にいても語学が伸びるかどうかは自分次第! たまに日本に帰ればまず第一に英語でしゃべってとか、英語ペラペラなんでしょという質問が飛んできますがアレはやめてほしいですね。 特に僕の

    • 無保険でアメリカの病院行ってみた

      2021年12月31日、大晦日。 車を持たない生活ゆえ、職場まで毎日片道40分の自転車通勤をしています。 住んでいる地域は海が目の前なのでほぼ坂はないんですが、一つ大きな橋を渡らないといけません。 上り下り坂といえばこの橋を渡る時くらいです。 その橋に自転車道はあるものの、途中からガードレールはなくなり真横を車が60キロくらいのスピードでビュンビュン飛ばしていきます。 いつものように慣れたスピードで橋の下り坂を進んでいると一瞬だけ見えた排水溝の溝に後輪が見事にはまり大ク

      • 皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.7〜星ゲットからの〜

        寿司もろくに学んでこなかった僕が寿司職人としてアメリカの永住権を取得して、レストランでは板場に立つラティーノ横目に皿洗い3年、たまに包丁隠されホモられて。 あれよあれよと気付けば5年目。 そこは最高級寿司レストランで働いていた。 オーナーはかの有名な『すきやばし次郎』で働いていた方。 NY店オープンから5年(一つ星) Washingto DC店オープンから1年(星無し) NY店からのお誘いもありましたがすぐには移動できず住んでいたWashingto DC店で働くことになりま

        • 皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.6〜希望が見えた先の閉店〜

          2年で立派なシェフに育てられる2017年6月に2店舗目での仕事がスタートして、ヒラメのさばき方から教わり日本からくる大量の鮮魚をさばかっせてもらえたり最後の方はマグロも柵取りまでやらさせてもらえました。 日本にいた時はマグロを触らせてもらえるのは5年以上かかると思ってましたが職場の環境次第なんだと実感しました。 ヘッドシェフもすごくいい方で当時色々厳しくやらせてもらえたことは今思えばかなり力になっていると思います。 日本からの鮮魚 突然の閉店2019年5月、とある日からそ

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          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.5〜皿洗いからの脱却〜

          3年契約を無事に終え次のステップへ!色々なレストランを見てきた中で自分の可能性を知ることができました。 2017年3月渡米から3年経ち最初のレストランを抜けることを決意! オーナーに辞める話をすると「まだもう1年はいてくれると思っていた」「辞めてから長期休暇取るならまだ働けるじゃん」と言われ日本に遊びに帰ろうと思ってましたが、もうしばらく働くことに。 延ばした代わりに特別な仕事をしたわけでもなくまたメインの仕事は皿洗いでしたが貴重なビザを貰えたのとwashinntonnDC

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.5〜皿洗いからの脱却〜

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.4〜焼き鳥シェフになる〜

          与えられた新しいポジション2015年6月新店舗がついにオープンし寿司シェフではなく焼き鳥を任されました。 これが美味しいけど中々オーダーは来ず、以前のレストランのように洗い終わったお皿を戻す作業をここでもやってました。 寿司バーには相変わらず僕が入るスペースはなく10年以上働いている3人のラティーノが常に寿司を作ってます。 きっと彼らは自分の仕事を取られないようにするのに必死だったんでしょう。 もらえるつもりがなかったバケーションを貰えることに!2016年8月、ビザを申請し

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.4〜焼き鳥シェフになる〜

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.3〜左遷される〜

          全くオーダーのこない焼き場寿司バーには僕を除き全部で4人のシェフがいました。 日本人は僕一人で他はみんな中米人です。 寿司カウンターの広さ的に4人立つのが限界で金土は全員出勤になるので寿司バーは埋まってます。 そんな中僕は焼き場の前で立つわけですがやることがありません。寿司バーが忙しい中やれることがなかったのでひたすら皿洗いの人が洗ったお皿を戻したりしていました。正直気まずくてキッチンの中で皿洗いしてたほうがマシでした。 そんな中、別店舗へ飛ばされる働き始めて半年が経った時

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.3〜左遷される〜

          一時帰国時に握りまくった寿司たち

          2019年夏、2週間だけ日本に一時帰国した際コレデモカ!!と友達、家族に振る舞った寿司のまとめです。 初日はアジとエビ 中トロ、サーモン、ハマチ 野球部の後輩宅にてイカ、マグロ、サーモン、金目鯛 甥っ子姪っ子にも巻物も 宮崎県都城市のおばあちゃんにも振る舞いましたがストップかかるまで食べてくれました! 近所のスーパーでアジが安いし美味しいのでアジばかり握りました。 極め付けはコレでしょうか🍣父の新宿にあるお店で歓迎会開いてくれたので皆んなに握りました。 またや

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          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.2〜いざ入国〜

          2014年3月31日、期待と不安を胸に、、と言いたいところでしたが不安 100%でした。 行きの飛行機の中は「日本楽しかったなぁ」「いつ次帰れるんだろう」そんなことばかりだった。 入国審査で別室へ呼ばれるちなみに僕は全く英語が喋れませんでした。 ペルーでスペイン語を学んだせいで外国人と話すときは英語ではなくスペイン語が出てくるくらいです。 でも英語なんて住んでれば勝手に覚えるでしょ!そんな感じでした。 入国審査は何を聞かれてんのか全くわからないまま「あっち行け」と指示されま

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.2〜いざ入国〜

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.1〜アメリカに行くまで〜

          皆様はじめまして!りゅうです。これが最初の投稿になります! 高校時代、国語と英語だけは頑張っても平均点以下だった僕が気づいたらアメリカに住みnoteを書き始めてますが人生何でもチャレンジですね。 何でもチャレンジ!というわけでタイトルにもあるように異国の地で寿司シェフとして渡米しましたが何故か3年間皿洗いをしていました。 そもそもなぜアメリカへ?歌舞伎町で40年間、宮崎料理屋をやっている父の知り合いにアメリカで寿司屋をやっている方がいて、その方が日本人が欲しい!と言うこと

          皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.1〜アメリカに行くまで〜