皿洗いから5年でミシュランレストランまで上り詰めた話 in アメリカVol.1〜アメリカに行くまで〜
皆様はじめまして!りゅうです。これが最初の投稿になります!
高校時代、国語と英語だけは頑張っても平均点以下だった僕が気づいたらアメリカに住みnoteを書き始めてますが人生何でもチャレンジですね。
何でもチャレンジ!というわけでタイトルにもあるように異国の地で寿司シェフとして渡米しましたが何故か3年間皿洗いをしていました。
そもそもなぜアメリカへ?
歌舞伎町で40年間、宮崎料理屋をやっている父の知り合いにアメリカで寿司屋をやっている方がいて、その方が日本人が欲しい!と言うことでビザを申請してもらいました。2007年、僕は19歳だった頃です。
当時アメリカに憧れていたわけでも寿司シェフだったわけでもなく、申請し始めたビザが下りるのが大体3〜5年かかるので就活する必要ないじゃん!っていう甘ったれた考えです。
そのビザの貴重さなんて当時の僕には全くわかりませんでした。
今思えば本当ラッキーボーイです。
ビザ待ちの間何してた?
まず僕は日本が大好き人間です!
ただビザ申請し始めてからはもう日本にいれる時間も限られているわけです。
海外いくなら日本のこと知らなくちゃと思った僕は自転車で日本一周することに決めました。結局は四国一周1000キロ、東京から九州一周2500キロで終わってしまいましたが、自分の足で旅することは地理的に詳しくなったのは確かです。
関門橋と当時の自転車
そしてアメリカのレストランと言えばラティーノ。
そう南米からの移民の方々と働くわけです。
ということはスペイン語です。タイミングよく話があってペルーの博物館ボランティア員として1年間スペイン語と考古学を学びながら過ごしました。
この経験は今のアメリカで相当生きていると思います!
え、寿司屋で修行しなかったの?
まぁそうですよね笑 実は寿司屋で修行はやってましたが
僕の寿司修行イメージは
1年目 皿洗い
2年目 デリバリー
3年目 シャリ炊き
5年目 魚に触ることができる
8年目 板前に立たせてもらえる
そんな感じでした。なので小型店は諦め大型店ならすぐに魚に触らせてもらえると思い、恵比寿にある某有名寿司チェーン店で仕事を始めました。
最初の1ヶ月位はコハダ、サンマ、アジなどさばかせてもらえましたが
それ以降お店が暇なときに仕事で店行くと「帰って」と言われ帰らされたり、何か手伝いましょうかと聞いても無視される始末。
最後は仕事に行く準備していたら電話かかってきて「今日は来なくていい」と言われそのまま辞めてしまいました。
寿司技術0で渡米?
さすがに焦りだした僕は渡米半年前から近所の寿司屋で働きました。
半年後にアメリカに行くことと寿司シェフになることを伝えてわずか3ヶ月間だけ働かせてもらいました。
デリバリーもやりましたが握り方のキホンは教えてもらえたので有り難かったです!
そして2014年4月、渡米の日は来た!
緊張で顔がひきつってますね。そしてSINGAPOREに指を指している笑