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262DAY -Dragon-et ルーヴルへ行く-
絵画とは見るべきなのか?何十年も何世紀もの長い人類史の中で築き上げられてきたその芸術。見るか見ないかで言ったらそれは見たほうが得に決まっているが、果たして「今」見るべきか?
事の起こりはV-netの事務所移転作業を手伝っていた時のこと、松永先生(自分の塾(?)の先生)の本を棚に戻している時、たくさんの画集が目に入った。今まで小説や映画などのものにはたくさん触れてきた。「絵画はどうであるか?」とふと感じてしまったのである。果たして見た方がいいのだろうか。自分にとって絵画を見ることはどうなのだろう?
しかしその答えはすぐ出てきた。「見たほうがいいに決まっている。」せっかくこうしてブログを書いたり小説を書くなどの趣味にハマり、あまつさえそれを発信している。それを自分が大人になった時、果たしてその習慣を続けることはできるのだろうか。もしかしたら小説を一ミリも好きになっていないかもしれないし、極論ではあるが「死んでいる」かも分からない。感受性が比較的豊かな時期が「今しかない」かもしれない。
そう考えると「行く以外ない」ように感じてきた自分は、すぐさま都内の絵画展を調べた。するとなんと、「ルーヴル美術館」が来日しているではないか。岸辺露伴のファンであり、「劇場版 岸辺露伴 ルーヴルへ行く」が近々上映されることもあり、「ルーヴル」という響きは前々から興味があった。自分も岸辺露伴になった気分で、ルーヴルの絵画を見、1人で恍惚的なほどよい孤独を味わう。これは素晴らしい。自分はすぐにチケットを購入し、なんとも言えない感情の中床についた。値段は1000円であった。
「ルーヴル美術館」はフランス・パリのセーヌ川のほとりに位置する世界最大級の史跡であるとともに世界最大級の美術館の一つである。展示品を含めた全体の収蔵品(コレクション)は48万点近くに及び、毎年800万人を超える入場者数を誇る世界で最も人気のある美術館に数えられ、パリのセーヌ川の一部として世界遺産にも抱合登録されている。『ミロのビーナス」や「モナ・リザ」などの素人でも知っているような超有名作品や、ボッティチェリ、ラファエロ、フェルメール、レンブラントなどの名だたる人物の作品が所蔵されている。今回来日したのはその膨大なコレクションのうち「愛」をテーマにした73点であり、六本木の国立新美術館で展示が催された。
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国立新美術館は、六本木の都会的な景観を歩いてるうちに突如としてその姿を見せた。緑に囲まれ、前面がガラス張りの美しい外観は、とても明るく近未来的な雰囲気を醸し出す。中に入ると、空中カフェやガラス張りの透明感あるエレベータが見えたが、何よりも驚いたのはすでに数十人ほど並んでいる人がいたことだった。開館予定時刻の20分ほど前に来たが、すでにここまで並んでいるとは思わなかった。さすがは「ルーヴルブランド」だなと思いつつ、自分もその列に並んだ。
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少し待って中に入ると、早速絵が飾られている。壁は全て単色に統一され、絵画一点を際立たせる。まるで壁のそこだけ切り取られ、絵画が風景としてあるように感じる。室内は薄暗く、人間の感情が究極に安らぐように誘導している。自己を抑え、絵画の主張するものに向き合うように。
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昔、古代ギリシアのプラトンが著した「饗宴」をリベラルアーツで読んだ。そこでは「愛」とは何かの答えとして「美そのものへの渇望」「知恵を愛すること」「魂が純粋に魂自体であり続けるよう努力することを求める」ことが導かれた。今回の「ルーヴル美術館展」では、そこに至るまでの要素をしっかりと73等分していたように感じた。そこには母性愛もあれば恋人愛、肉欲や性欲、生と死がありありと描かれていた。これらをまとめたとき、それは視覚化される愛として究極の状態になるのだろうと感じた。
しかしこれはあくまで一部である。いかに厳選したとはいえ、これはルーヴルのコレクションのほんの薄皮に過ぎない。この事実を認識すると、ますます本場のルーヴルに行きたくなる。
もしかするとこれが本当の目的なのかもしれない。芸術は、一度入ると抜け出せない泥沼なのである。今日知ったことはそれである。