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『新時代の組織論』批判―組織の進化論はいかにあるべきか?

多様性のある組織が生き残る?

「ビジネス言論」とでも言うべき界隈で語られる組織論において、「これからは多様性のある組織が生き残る」「組織の進化の鍵は多様性」といった類の説に触れる機会は少なくない。

せっかくなのでnote内で検索をかけてみると、下記の記事にあたった。続きもので、2記事に分かれている。

『新時代の組織論「自己進化型組織」とは』(以下、『新時代の組織論』)の素晴らしい点は、組織の「多様性」を強調するところで終わらず、「選択」まで射程に収めて議論しているところにある。ビジネス言論においては、多様性の強調で満足して終わる「組織の進化論」が少なくない中で「選択」まで考慮してきちんと「進化論」に向き合おうとしている姿勢はたいへん好印象である。

しかし、その理論で用いられている諸概念およびその関係性には問題があるように見受けられる。通俗のビジネス言論を超えんとする志に敬意を払いつつ、いやそれゆえに、『新時代の組織論』に批評を加えてみたいと思う。

『新時代の組織論』の論旨と問題点

『新時代の組織論』を要約すれば、次のようになるだろう。

『環境変化が目まぐるしく、不確実性の高い現代においては自己進化型組織の構築こそ肝要だ。生物の進化と同様、多様性と選択圧がキーワードとなる。ここで多様性とは「多種多様な物の見方、考え方、意見が、それぞれ存在を許されている状態」のことである。職場環境の多様性を育むためには心理的安全性の確保が重要であり、職場環境の多様性が育まれると、その職場は組織としてより強く進化しやすい状態になる。』

このあと選択圧の議論に移り、せっかく確保した多様性をふるいにかけてしまう。曰く、

要は、ミッションや目標、経営哲学に賛同する人だけが残るように、組織としての文化、哲学、スタンスを明確に共有しておく、ということです。

自己進化型組織における選択圧―「【32】新時代の組織論「自己進化型組織」とは(2)」

このままでは先ほどの多様性の議論と矛盾してしまう。われわれの普通の言語感覚では、「経営哲学に賛同する人だけが残るように」されている状態を指して「多種多様な考え方が、それぞれ存在を許されている状態」とは言わないだろう。

そこで『新時代の組織論』では、「多様性概念の再定義」と「時間化」の2つの戦略で矛盾の解消が試みられている。

矛盾解消戦略1:多様性概念の再定義

「多様性概念の再定義」は、以下の部分で行われている。

多様性を育むために心理的安全性を大事にすると自由を認めざるを得ず、そうするとチームや組織がまとまりにくいのではないかという不安の声をよく聞きますが、選択圧が高ければ、多様性がある中でも目指す方向は定まっているという状態が可能になるわけです。

自己進化型組織における選択圧―「【32】新時代の組織論「自己進化型組織」とは(2)」

ここで「多様性」が許される範囲から「目指す方向」が外されており、多様性という概念の中身の調整が行われている。今や多様性概念は「条件付き」である。「ウチの会社は自由だよ。会社が許す限りで」というわけだ。

しかしながら、この程度の「条件付きの多様性」でよいのであれば、多くの会社にとって今さら教えてもらう必要がない。それが普通の会社というものだからである。「条件付きの多様性」は現状肯定にしかならず、したがって組織改善の契機を与えてはくれない。

矛盾解消戦略2:時間化

また、多様性と選択圧の議論の矛盾を解消する戦略の2つ目は「時間化」である。曰く、

ここで一つ重要なことは、組織が自己進化型になるためには、多様性と選択圧、どちらも高いことが必要だけれど、高くするのは多様性→選択圧という順番でしかできないということです。

自己進化型組織における選択圧―「【32】新時代の組織論「自己進化型組織」とは(2)」

「多様性の高い組織」と「選択圧の高い組織」が概念的に矛盾してしまい、同時には実現し得ないので、時間的に差異化することで脱矛盾化を試みているわけである。

ところで、もしここで言われている「多様性」が「条件付きの多様性」なのであれば、わざわざ2段階目の「選択圧」を論ずる必要はない。「条件付き」ということで既に選択は済んでいるので、素直に「(条件付きの)多様性の高い組織を実現しましょう」と結論すればよい。

したがって、この時間化戦略の議論における多様性は「条件なしの多様性」でなければ意味が通らない。「条件なしの多様性」を第一段階として実現しているからこそ、第二段階の選択圧で「条件を付ける=多様性を規制する」必要があるのだ。

断りなしに「条件付きの多様性」から「条件なしの多様性」へと再びすり替わっている点は、今は不問にしてもよい。しかしそうであったとしても、選択圧を高めたあとに残る組織の多様性とは結局のところ「ウチの会社は自由だよ。会社が許す限りで」ということになってしまう。説明を繰り返すことはしないが、やはり時間化の戦略も失敗していると言わざるをえない。

2つの提案:変異概念の導入と選択概念の再定義

このように、『新時代の組織論』は自ら設定した概念同士の矛盾によって論理が内破してまった。どうすれば、組織の進化論を論ずることができたのだろうか。

私から2点提案したい。多様性概念に変えて「変異」概念を導入すること、そして選択概念を組織と環境との境界に関わる概念として規定し直すこと、である。

「メンバーの多様性」ではなく「組織の変異」

まずは多様性概念の必要性を見直してみよう。生命有機体についての進化論を思い返せば、キリンという「種」の中における多数の「個体」には首の長短という表現型の多様性があり、それら多数の個体が選択圧にさらされるという筋書きであった。『新時代の組織論』においては「個体」の位置に「個人(組織のメンバー)」を置いてしまったことで「多様性」を持ち出さざるをえなくなってしまったのである。

しかし、われわれの分析の水準は組織であったはずだ。組織の進化論において、進化の旅をたどるのは組織自身であって個人ではない。選択圧にさらされるのは「メンバーの多様性」ではなく「組織の変異」なのである。

変異とは現状への抵抗である。組織の変異とは、現状の安定性を前提に、その現状に「否定」の契機を見出し、逸脱的な意思決定を行うことである。例えば業績が落ちてきている組織では、「何かうまくいっていない原因があるはずだ」というかたちで、現状を否定する契機が模索され、現状の変更を迫る逸脱的な意思決定が動機づけられることになる。真偽はともあれ、広告が足りないということになれば広告が増やされ、価格が高すぎるとなればコストダウンや値引きキャンペーンが試みられるだろう。いずれも、現状が否定的なものとして認識されなければ思いもよらなかったはずの意思決定であり、これがすなわち組織の変異である。

このように、多様性概念から変異概念に移行することで、選択概念と矛盾しなくなる。試みられた組織の変異がうまくいったりいかなかったりするのは全く日常の光景だからである。変異が選択のフィルターを通過することで、組織は最初とは異なる構造を手に入れて再安定化される。うまくいかなかった場合は、その経験自体が新たな否定の契機となり、新たな変異が試みられることになる。

また、『新時代の組織論』においては、多様性を積極的に増幅する方法については言及されておらず、「心理的安全性を確保する」という指摘に留まっていた。確保された心理的安全性の中で、いかにして多様性が増幅されうるかというメカニズムは未規定のままである。変異概念を採用すれば、組織の進化における課題として変異を増幅するメカニズムについて積極的に論じることが可能になる。主要な問いは「現状を否定する契機をいかに見出すか」ということだ。例えばそれは目標設定によってであったり、データ分析によってであったりするのだが、これはまた別の機会に詳しく触れることにしよう。

環境を射程に収める「選択」概念への修正

提案の2つ目は、選択概念を組織と環境との境界に関わる概念として規定し直すことである。

『新時代の組織論』においては、選択メカニズムは組織内で駆動することとされていた。組織のメンバー(個人)の多様性をテストするメカニズムとして選択を規定してしまったためである。しかし、組織の進化論においてテストされるのは組織であって個人ではない。

選択とは、組織の変異と移ろいゆく環境とのカップリングのテストである。同じ変異でも環境が異なれば、再安定化に結びついたりしなかったりする。逆に環境が同じでも変異の内容が異なれば、これもまた再安定化に結びついたりしなかったりする。

このように選択概念を見直すことで、組織の進化論を環境への洞察に対して開くことができる。当たり前だが、組織の中でメンバーの多様性を啓蒙したり経営哲学を強制したりするだけで経営がうまくいくことはない。組織は取引先や顧客や金融機関や地域コミュニティと具体的に関わり合いながら、すなわち環境と接しながら経営され、業績が上がったり下がったりするわけである。

組織の改善を志す理論であれば、ぜひとも理論の中に環境に対する洞察の位置を確保する必要がある。

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