もはや僕は人間じゃない/爪切男
爪切男さんの新刊が出た。
トークイベントなどで2時間ぶっ通し対談の相手としてお招きいただくなど、お世話になっています。
今回も「現実とは思えない香ばしい出来事」や「惨めな愛」が詰まった作品だった。
なぜかわからないけど、バンドマンに読んで欲しいと思う。
しかもなんと、仏教の教えが通底した内容だったので驚いた。
この「心が引き裂かれそうになるほど悲しいのに、泣きながらおもわず笑っちゃう」感じは、なかなか他では読めない。
読みながらいろんなことを思ったので、長いです。
◆言葉の無力さを認めるという愛情◆
文中、悲しむ友人が心境を吐露する場面で「かける言葉も見つからない」と来る。
作者自身は無頼な感じがするのに、なぜか圧倒的に優しいのはこういうところ。
僕だったら、さすがに「手っ取り早い言葉」で返答することはないし、嘘までついたりはしないけど「手近な言葉」をかけてしまいそうだ。作家という言葉を使う仕事の人なのに「言葉が見つからない」と完敗宣言。本当に優しさを感じる。
◆属性と個人の使い分け◆
その人がどんな属性であろうと、その属性を突き破って「その人自身を見る」というところに、爪さんの生き方と物語の良さがあるけど、爪さんはところどころで「オカマと坊主である」みたいに雑な説明をする。
これは多分わざとで、その人との関係性があるからできる。あと、この雑な説明のおかげで読みやすくなってる。
◆構成◆
前作「死にたい夜にかぎって」のエピソードが入ってくる。爪さんの人生は切れ目のない糸だから、繋がってるのは当然だし、今作から読む人のために入れておかないとワケワカラナクなるから仕方ないんだけど、知ってるものとしては少しもたついて感じる。
◆サンプリングするということ◆
紅夜叉、GIGSやSHOXXといった雑誌、映画エレファント・マンなど、固有名詞を多用すると、その後方にあるフィールドが物語の豊かさと雰囲気を補完してくれる。
過去に誰かと、小説におけるサンプリングの話をしたことがある。多分、HOME MADE 家族のKUROさんと。
小説にサンプリングを取り入れると、そのキーワードの知識や体験のあるひとなら、世界観を表現するために描写をダラダラ書くより、何倍も効果的だ。
◆爪切男構文◆
物語の中に登場するアイテムをトリガーにして過去の回想シーンに飛ぶという、前作で基本的な構成に使われてたスタイルが10章に登場して、あ、爪さんだ!と思った。
◆なぜかしっとしてしまう◆
爪さんの本を読んでると、自分の生い立ちと来し方が、そんなに不幸じゃないことに対する劣等感を感じる。
でも本当は、僕には僕の人生があって、丁寧に愛情を持って(意識高い系の人みたいなことじゃなくて)過ごしながら、しっかりと自分の視点で周りを見ていれば、不幸の度合いと創作に差は出ないはずだ。
◆おわりに◆
こんな不幸で危険な体験はしたくないけど、こんな愛情のある人間にはとても憧れる。
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