見出し画像

(一般の方向け)医師になることの"コスパ"と"タイパ"は?


この拙いブログを読んでくれている読者の皆様の中には
働き盛りで、
お子さんも小さい方が多くいらっしゃると推察しています。

先日、親友の医師の元へ訪問し
家族ぐるみで遊んでいたんですが、
子供の将来やお受験の話題が少し出まして。。。

今日は娘を持つ親として、
もし子供が「お医者さんになりたい」といったら
どう対応するべきか?

とふと考えたので、
自分なりの意見を述べてみたいと思います。

将来の夢:お医者さんになる、ってどうなんだろう?

お隣の韓国では今年も国を挙げてお受験戦争が始まったそうですね。
日本も韓国ほどではないですが、いまだに学歴社会が続いています。
ただ、僕が学生だった頃よりも
社会の変化が急速に早まっているせいか、
その歪みも大きくなっているように思うのです。

そう、
がんばって勉強していい大学に入っても、
その後の生活の質や経済的、社会的成功(※)は保証されにくくなっている

(またはそういった場所がどんどん削り取られている)
ように心から思うのです。
(※注:”成功”というのは答えがないと思っているので
あくまで世間的にみた成功、という意味です)

例えば
僕の学生時代では、
公務員になる=終身雇用で安定、間違いない
というイメージがまだかなり強く、
実際僕の友達にも親から強く勧められたりもしていました。

しかし今では公立学校の教師は定員割れと聞きますし、
郵便局員の知り合いや教師の知り合いに話を聞いていても
あまり明るい未来の話は少ないように思います。
そして労働時間ともらえる給与水準が釣り合っているようにも感じません。

最近は東大生にも官僚志望者が減っているという噂も耳にしますね。
これもやはり昨今のクレバーな若者から見ると
"人生全体で見たタイパ、コスパが悪い"
というのが大きいのではないかと思います。
(※タイパ=タイムパフォーマンス、コスパ=コストパフォーマンス)

前置きが長くなりましたが、
そんな学歴社会のトップ層に君臨し続けるのが
「医学部」(=医師)であることに異論はないでしょう。
(もちろん他の学部や海外大学などと比較したらトップとは言えないのは
承知しています。あくまで"層"としてみた場合です)

しかし、
その努力や犠牲に見合った対価(お金と"時間=命")が
釣り合っているのか?と言われると
すでにギリギリであり、
これからはあまり釣り合わなくなってくるように
感じているのです。

医師になるものはどのような犠牲を払っているのか?

そもそも医師になるにはどうしたらよいのか?
そんなことは誰でも知っています。

どこかの医学部に受験して合格して、
単位をとって卒業して、
医師国家試験に合格したらいいだけです。

これだけ書くと簡単に誰でもなれそうですね(^^;)
実際、誰でもある程度の努力と犠牲を払えばなれると
昔から僕は思っています。


実際、
僕は地方で自分が一番合格しやすいだろう大学に受験して
ギリギリ滑り込みで合格するくらいの
知能しか持ち合わせていませんでしたが、
なんとか今医師として仕事はできています。
(というか医師になってから賢さは
あまり重要な能力ではなくなるので不思議です)

医師になるために犠牲にするかもしれない対価

ではある程度の努力と犠牲とはなんでしょうか?

それは、
最も感性が豊かで、
様々な体験を貪欲に吸収でき
世界がどんどん広がっていくのを実感できる
青春時代の大半を
”座学での勉強”に費やす必要がある

ということが1つ大きいと思います。

もちろんこれには個人差がかなりあり、
勉強もしながら部活動もサークル活動もバイトもできていた
という器用な(というか地頭がよいのでしょう)
人が何人も医学部にはいた
ので、
そういう人は
ある程度青春も謳歌できていたかもしれませんが。

僕は普通の中学生、高校生だったので、
1日6時間〜12時間は学校が終わった後や
朝早くや通学中や休日に勉強をしていた
と思います。

当然その間に部活もすることなく、
たまに友人と遊びに出かけることはあっても
圧倒的に周囲よりも少なかったし、
周囲が続々と男女交際を始めたり、
部活に勤しんで青春を謳歌している中で
ひたすら机にかじりついていました。

きっと、
僕程度の学習能力の人間が
医師になろうと思ったのが
間違っていたのかもしれません(笑)

この失われた青春、時間は
振り返ってみても2度と取り戻せない

かけがえのない時間だったと思います。

そこに僕の人生の後悔の半分以上が詰まっていると言っても
過言ではありません。

しかも
医師になって前半の5年間(前期、後期研修期間)は
昔よりも今はだいぶ緩和されているとはいえ、
勉強と実務でほぼ日常は消えていきます。
(これは他業種でも同じかもしれませんが)

僕は卒後10年以上、
有給休暇をすべて消化できたことなどありません
(むしろ積み重なり続け霧散していきました)

つまり苦労して勉強して
ようやく医学部を卒業しても
その上に
最低5年間の修行まで上乗せされるわけです。
(しかも修行が終わっても勝手に楽にはならない)

好きじゃないとやってられませんよね(汗)

もうひとつ。
お金の問題もあります。

僕の家庭は父母ともに会社員でダブルインカムではあったものの
ごく一般の家庭で中流階級ど真ん中だったので
僕は高校受験の時から奨学金を借りて、
大学を卒業するまでに800万の借金を背負いました。

まあ私立大学の医学部に入ろうと思ったら桁がひとつ違うので
医師連中の中では
全然たいしてお金かかってないって
言われますけど、
普通に考えたらかなりの借金ですよね?

幸い、
今でもまだ医師になると収入面では安定するので
問題なく返済できましたが、

こんなに教育コストをかけなくても
同じ金額の年収をばんばん稼いでいる人間は
世間にはたくさんいます。

もちろんそういった方の
能力が高いのは言うまでもありませんが。

逆に、
たいした能力がなくても収入は確保できるというのは
医師の最大の強みかもしれませんね(^^;)

開業しない限り、
どんなに腕のいい医師でもダメダメな医師でも
年収は似たり寄ったりで、
年功序列制度が色濃く残っていますから。

長々と書きましたが、
僕は自分の子供は特に地頭がよいとは思っていません。
普通だと思っています。

勉強がしたければ
好きなだけしたらいいし、ほかに打ち込むことがあってもいい。
(最低限の知識と知恵は身に付けてほしいけど^^;)

でも、
自分の子供がもし
「将来は医師になりたい」といったら、

うれしいという気持ちも芽生えるかもしれませんが、
(自分の人生を肯定してくれている気分になれるので)

それだけの貴重な時間を強制的に受験勉強に割き、
教育コストもかけながら、
医療崩壊が叫ばれるこのご時世に
本当に医師になって
医療訴訟に怯えながら
修行時代を乗り越えやっていく
覚悟はあるのか?


きっと聞いてしまうと思います。

いい大学(医学部)に入るためだけの勉強なんて
社会に出たらあまり役に立たないし、

(努力したと言う自信や評価はもらえるけど)
世界はもっと広くて、
人に喜んでもらえる仕事がいろいろあって、
貴重な時間、感受性の高い時にか味わうことができない
人生の喜びがあるのではないか
それを犠牲にしてまで医師になるのは
ちょっともったいなくないか

そう思ってしまうのです。

こう書くと
自分の人生を全否定しているようにも見えますが、

僕自身は青春をもっと謳歌できていれば、、、という
悔やみきれない思いはあれど、
おおむね自分の人生に満足はしているので、
悪いとは思っていません。

ただ、
いろんな道があるよと
言ってくれる大人がそばにいてくれたら
もっと早く自分の時間、人生のかけがえのなさに
気づけたかもしれないな

思うところもあるので、
色々言ってしまうのでしょう。

周囲にも似たような意見を持つパパ医師も多いので
そう言う世相なのかもしれません。

ご参考になれば幸いです。

それでは、また。




いいなと思ったら応援しよう!