医師のキャリアもグネグネでまっすぐではない。(キャリアの積み上げ方の色々) その2
前回は、
僕の個人的なキャリアの変遷の概要を
お伝えしましたが、
今回は
僕の親友の
B先生のキャリアの変遷を追ってみて、
少し俯瞰した目線から読み解いてみたいと思います。
B先生のキャリアの変遷
B先生は
もともと好奇心旺盛な性格で、
学生時代から
医療とは全然異なる分野の起業家の方と交流したり、
斬新な発想を僕に提供してくれたり、
僕にとって新たな視点や発見の多い本を紹介してくれたりと
とてもユニークな方です。
そんな彼は、
関西の有名初期研修病院で研鑽を積んだのち
小児科医として市中病院で勤務し始めます。
ここまではよくある話。
ところが数年後、
一通りのスキルを習得し専門医も取得し
さぁこれからキャリアを積んでいくぞ!
という段階で
彼は研修していた基幹病院を辞めてしまいました。
理由は今の僕とよく似ていて、
・小児科医としての自分のスキルの限界が見えた
・もっと違う分野に興味が出てきた
・家族との時間をもっと大切にしたいと思った
と語っていたと記憶しています。
その後
彼はフリーランスの小児科医として
日々の生計を立てながら
内科の勉強を始め、
さらに偶然の出会いから
あるフードにどハマりして
週末にキッチンカーで飲食店を出店する
なんて事もしていました(笑)
そんな彼は今では
某有名病院で内科医として研鑽を積み、
活躍しています。
なかなかユニークな経歴ですよね(^^;)
まさか自分が内科医になるとは
10年前は全然思っていなかったでしょう。
卒後10年の悩み(内的要因)
B先生のキャリアのドリフトは
通常よりも少し早めには思いますが、
僕を含めて
周囲の医師のキャリアの道筋は
だいたい卒後10年頃に
大きく変化しているなと思います。
それはなぜか?
内的な要因と外的な要因が
あると思います。
内的な要因としては、
卒後10年ごろになると
"臨床的なスキルは頭打ちになる"
からではないかと思います。
昔からよく言われていることですが、
やっぱりそうだなぁと僕自身、すごく実感しました。
1万時間の法則
「1万時間の法則」というものを聞いたことがあるでしょうか?
これは
"卓越した技術や知識の取得は
1万時間以上もの計画的練習の成果である"
と言われるもので、
心理学者のアンダース・エリクソン教授(フロリダ州立大学)らが1993年に発表した論文を、マルコム・グラッドウェル氏が「Outliers: The Story of Success」で紹介し、ミリオンセラーになって有名になった話だそうです。
医師も手術をするしないに関係なく、高度な技術職だと思います。
外科やマイナー科の先生は手術手技もあるので
非常に分かりやすいと思いますが、
病理医、放射線科医、内科医なども、
幅広い知識や専門的な知識をもとに患者に向けた
最適、最短のアセスメントと治療方針を
その経験に裏打ちされた形で提供していく
という明確な"技術"を持ちます。
この技術は細分化されて"〇〇専門医"ってなりますもんね。
初期研修を終了したのち、
仮に1日10時間の仕事を週5日続けると、
約4年で1万時間を達成しますが、
実際には、
10時間のすべてが専門的スキルの修練には使用されないので、
半分だと仮定すると
約8年。
初期研修が2年で終わるのでなので、
ちょうど10年になりますね。
1万時間を達成すると、その後の実力の伸びは
急激に鈍化します。
(RPGゲームのレベル上げが後半大変になるのは
とても真理をついていると思う)
そうなると
急に今まで興味関心を持っていた自分の領域に
興味が薄くなり、
今までのように貪欲に打ち込めなくなる。
そんな心理状況で
このまま同じ仕事内容を実直に
こなし続けていくのは
食べていくためとはうえ
少し辛い。
距離の見え方
また
卒後10年くらいすると、
相応のスキルが習得でき
対外的にもそれなりの立場になり
多方面でバリバリ働ける反面、
この頃になると自分の実力や
有名トップランナーの医師との差分(限界)が
はっきりと見えてきます。
そうなると、
それまで
学年の成績はトップクラスで
「天才」とか「神童」とか
言われて、
誰よりも努力して
ずっとトップを走っていた
医師のプライドが傷つく事は
容易に想像できます。
「これからどれだけ頑張っても、あの先生には勝てない」
と思ってしまったら、
違う道を模索するほかありません。
それがこの頃なんですよね。
で、多くの先生方は
・大学での熾烈な競争を避け、地方の基幹病院に出向く
(人事的意味合いもある)
・さらに狭く深い専門領域に潜り込む
・医学研究を始める
・大学院へ進学し博士号をとる
(モラトリアム的な意味もある)
という選択肢をとります。
あ、これ僕の話ですね😅
少し長くなってきたので
外的な要因についての考察は、
次回につづきます。
それでは、また。