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#6こころの片隅に中村哲さんを。―藤田千代子さんの講演(2024)―

 ご覧いただきありがとうございます。中村哲記念講座TA(ティーチングアシスタント)のA.Tです。このnoteでは、2024年11月13日に行われた中村哲記念講座第6回の内容についてお届けします。第6回は、中村哲さんとともに現地で活動をされた看護師の藤田千代子さんの講演でした。


1.藤田千代子さんについて

 藤田さんは1990年、当時中村医師が拠点としていたパキスタンのペシャワルに看護師として赴任されました。現地では(特に女性患者の)ハンセン病治療やナース・メディカルアシスタントの育成の他、井戸掘り、食糧配給、用水路事業の資器材調達などでも中村医師の現地活動を支えました。現在はペシャワール会PMS支援室長として、アフガニスタンの現地事業体PMS(Peace [Japan] Medical Services:平和医療団・日本)の現地活動を支えています。2021年には看護分野の国際貢献者に送られるフローレンス・ナイチンゲール記章を受章されました。

講演中の藤田さん

2.講演の内容

活動の中での藤田さんの驚き

 藤田さんは現地に赴任して驚いた事として、ものすごい貧富の差があること、異なる文化の中での医療活動、常に戦争が身近にあったことを挙げました。 
貧富の差
現地はバスや車もありますが、貧しい人たちの病院までの移動手段はタンガという馬車や徒歩です。また、日本のように保険制度はなく、子どもが風邪をひいたときも盲腸になったときも治療費は全部払う必要がありました。治療はバザールにある血液検査屋、レントゲン屋などでその都度お金を払って受けます。ときどき市立(郡立)病院などが無料診療をすることがあるのですが、多くの人が駆けつけるため自分の順番が来る前に子供が亡くなるといったこともあったそうです。お金がないと治療を受けられない。かと思うと一握りのリッチな人は日本車に乗って、ちょっとしたかぜでも海外まで治療に行く人もいる。さらに、それによる貧富の差は拡大しているという現状に驚かれたそうです。
自治なる文化の中での医療活動
 現地の女性は家から外に出る際はブルカを着用します。女性は宗教的な理由で手首から上、足首から上を親族以外に見せてはいけないためです。そのような文化的な背景の影響もあり、藤田さんは中村先生から女性のハンセン病患者の早期発見・早期治療をするように指示されました。早期発見・早期治療のためにはまず皮膚の状態を見る必要があり、毎回藤田さんは服を一枚一枚剥いで確認したそうです。四、五人診るだけで汗だくになってしまう作業の中で、「今の時代になぜこのような服を着るのだろう…」と腹が立ってきて中村先生に不満をぶつけました。そのような様子を知った中村さんは以下のような言葉をかけられました。

「見慣れないもの、ただの違いであるのを進んでいる遅れている、優れている、劣っている、と自分の物差しではからない。」

藤田さんの話より引用

中村先生の現地の文化を尊重する姿勢に心を動かされたといいます。

現地でみた中村哲さんの姿

PMSの基地病院の建設
 当時アフガン難民への国際支援活動の多くは数年で撤退していくものが多かったそうです。そのため、当時の現地のアフガン人は支援活動が本当に自分の生活のためになると信じていない人も多かったと言います。そのような中、中村先生は現地に土着化して長く医療活動を続けることを目的として病院を建設していきます。ペシャワールに建設した基地病院はお金のない人も医療支援を受けれるように、病で疲れている人のオアシスとなるように、治療費なし、給食支給の病院としました。また、中村先生は自ら基地病院の庭に芝を植えたり花を植えたりすることによって人々の安らぎの場を作りました。

基地病院建設について伝える藤田さん

まずは生きるために食べていけるように 
 2000年ごろ、地球温暖化・気候変動が進む中でアフガニスタンは干ばつに襲われました。その当時、泥水を飲む子どもたちも多くいたと言います。そこで、干ばつに対する緊急対策を打ち出しました。井戸掘りです。今必要なのはきれいな水。水が出る可能性があるならやってみれ。中村さんは現地の人々とともに井戸掘り作業をされました。中村先生の行動に「どうしてここまで自分たちのために行動してくれるのか。」と現地の人も励まされたと言います。

干ばつのころの活動を伝える藤田さん 

 さらに2001年9月11日には同時多発テロが起きます。アフガンは世界中から批判の中に居ました。そのような中でも中村先生はカブールに避難している人々に食料配布を行いました。そして以下のような言葉を残しました。

「飢餓に苦しむ人のいる小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、私の素朴な疑問である。」

藤田さんの話より引用

(その後、中村医師は活動地を東部アフガニスタンに移し、自給自足の農村を復興するための灌漑用水路建設に取り組むことになります。) 医療活動のみに関わらず、現地の人々にとって何が必要なのか。本当に現地の人々のためになるのか。中村先生は今を見つめ模索し実行されてきたのだと感じました。

中村さんの言葉を伝える藤田さん

3.受講生からの質問

 講義を講義を受けて受講学生から以下のような質問がありました。
受講生
私はフランスに留学に行った際、難民で避難しているアフガニスタンの子どもから「ナカムラを知っている?」と聞かれました。中村哲さんがこのように世代や地域を超えて人々に知られるようになったのはなぜだと考えますか。
藤田さんの回答
 政治や宗教に介入せずに中村さんは活動されました。また、活動そのものが直接命につながるものであったからではないでしょうか。

質問する受講生と藤田さん

4.次回予告

 次回は、3回目のグループワークを行います。村上先生と藤田先生の講演を聞いて受講生が感じたことをそれぞれ共有し、理解を深めていきます。
 
ご覧いただきありがとうございました。


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