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勘違いされる博士課程 ー母よ、ごめん、それ昔の話だよー


私はアカデミアから足を洗うと決めた、落ちこぼれポスドク。

どうせ論文は書けないし、コネクションもない。

学会発表だって注目を浴びないように、分野名「その他」に応募してコソコソ発表するんだ(むしろ目立つ)。

そんな私がアカデミアに向いているわけでもなく、上京して早々心折れて田舎の実家に帰省。

能天気な母は、そんな私の事情も知らず猛質問攻撃。

「学校の先生続けながら論文書いてたら、いつかはどこかの先生や大学が拾ってくれるんじゃない?」
「大学の先生のコネはないの?」
「知り合いの先生は、博士号とってすぐ〇〇大学の先生になったわよ」
「〇〇さんは、博士号とってなくても、あそこの私立の女子大の先生になったんだって」

はぁ、始まった。いつの時代のことだよ。



日本の博士課程の現状は、一言で言えば「氷河期」だ。
今に始まったことじゃないが、今はもっと深刻だ。

博士号取得者の数は年々増えているが、それに見合ったポストが用意されているわけではない。統計を見ると、博士号取得者の多くがアカデミアに留まれず、民間企業や非正規雇用、さらには失業という選択肢を迫られている。

参考:博士が100人いる村



(いわゆる「ポスドク問題」っていうのが代表的な問題だね。こんな博士課程じゃ当たり前に知っていることも、私たちの親は知らない。
親が大学関係者なら話は違う。が、そうでもない限り、「博士課程」や「ポスドク」なんて一般的じゃないんだから、知らないのが当然だ。説明するのも面倒だ。)

かつての日本では、博士号を持つことが一種の「ステータス」であり(今もそうかもしれないが)、大学や研究機関でのポジションが比較的容易に得られる時代があったそうだ。
しかし、それは高度経済成長期の話。

その頃、大学は増え続け、研究者の需要も高かったため、「博士号を持っていれば安泰」というイメージが生まれた。母が言っていたような成功例は、まさにその時代の名残りなんだろう。

ー しかし、現代では状況が大きく変わった。

大学の数がほぼ飽和状態となり、国の予算削減や少子化の影響で、大学や研究機関のポストは縮小する一方。

特に若手研究者のポジション確保は難しく、ポストドクターとして不安定な雇用状態に置かれることが珍しくない。「ポスドク問題」と呼ばれるこの現象は、日本だけでなく世界的にも共通の課題となっているが、日本では特に深刻。


例にも漏れず、私は博士課程を卒業後、大学のポスドクになった。
もちろん、落ちこぼれなので学振になんか通るはずもない。

月給は学部卒と同じかそれ以下。住宅手当も通勤手当もなければ、残業代もボーナスもない。薄給のくせにやること多い。実験はもちろん、論文執筆と次のポストへのプレッシャー、後輩の指導、学会発表の準備、、書いてるだけでしんどい。

しかも面倒見てる後輩(修士卒)の方が、初任給も高いしボーナスも貰えて残業代もでて、有給もあって育休も産休もあって、退職金もちゃんと出るなんて、羨ましすぎるんだわ。

「研究が好きな人しかできない」ってガチの話。しかも「好き」だけでは無理で、相当な覚悟と狂気がいる。

研究者として生き残るには、膨大な数の論文を執筆し、インパクトの高い研究を発表し続けることが求められる。加えて、学内外でのコネクション作りも重要な要素。この二つが揃わなければ、どれだけ才能があっても「研究者として成功する」という未来は遠いものになる。

(母の声)
「インパクトの高い研究じゃなくてもそれなりの論文書いて、文系や教育系の教員になっている人が多いじゃない?」
「地方の私立ならそんな業績も必要じゃないんじゃない?」

ち、ち、ち、甘いな。
そんな古い考えは昭和なんだよ。

まぁ、母の言うことは間違っていない部分もある。でも、それは「今のアカデミア」の現実を知らないから出てくる言葉なんだ。たしかに、地方の小さな私立大学や専門学校で教員になる道もゼロではない。ただし、それは業績を積み上げた上で、運よく「空きポジション」に巡り合えた人だけの話。全員がその道を選べるわけでも、選んだ先に安泰が待っているわけでもない。

だって見てみてくださいよ〜。
准教授でも教授でも、「任期なし」の公募がどれだけ少ないか、知ってますか???↓
参考↓

上記の「Jレックイン」というサイトで博士号持ちの研究者は職を血眼で探します。
少しでも自分の分野が被ってたら応募する。
少しでも、自分が挑戦できそうなら僻地でも行く覚悟でね。
大体任期は3-5年。あり得んだろ。

大学教員のポジションは、今や「空前の買い手市場」だ。地方大学ですら、ひとつのポジションに全国から数十人、多ければ百人以上の応募が集まる。そんな中で選ばれるのは、業績が優れているだけでなく、大学のニーズや方針に合致し、さらに運が味方した人だけ。文系や教育系なら競争が少ないというのも、もはや過去の話。むしろ、専攻分野によっては、理系以上に厳しい競争が繰り広げられている。

一方で、大学教員として働く環境そのものも変化している。たとえば、多くのポジションが「任期付き」だ。つまり、数年ごとに契約を更新する形で雇われるため、常に次の契約を意識しながら業績を積まなければならない。かつてのように「大学に入れば定年まで安泰」という時代は終わりつつある。任期なしの「終身雇用」のポジションは、今や一握りのエリートだけが掴む夢となっている。

そして、たとえポジションを得られたとしても、そこでの生活が「楽」だとは限らない。教員の業務は多岐にわたり、講義準備、学生指導、研究、外部資金獲得の申請、そして大学運営に関わる会議や委員会など、求められることが山のようにある。研究だけに集中できる時間は、むしろ減少しているのが実情だ。




入学時には「将来は研究者になる!」「大学の先生になるんだ!」
と誰しも博士課程の学生さんは思うでしょう。


もちろん、親御さんだって。自慢の娘、息子さん。立派な研究をして大学の先生を目指して頑張ってるらしいのよって、少し鼻高々にママ友なんかに話てくれてるだろうと思います。

そう、社会や家族の多くは「博士号=エリート」という幻想を抱き続けていいる。まぁ実際博士卒なんて、お金持ちか、めっちゃ運いい人か、めっちゃ天才かしかとれないのは事実。ただ、これはギャップではなく、もはや溝と言っていい。実際には、博士号を持つこと自体が「失敗」と捉えられる場面さえある。

博士課程の途中にうつ病になって、姿を見せなくなったあの子のことを知っているか?
助教の後、非常勤とポスドクでポストを食い繋いでいる、隣の研究室の女性40代ポスドクのことを知っているか?
教授になれずにずっとこき使われている、万年助教の40代男性がいることを知っているか?
パワハラ・アカハラ・セクハラが蔓延している研究室を目の当たりして研究者を諦めた私のことを知っているか?

私が「落ちこぼれポスドク」だと自嘲する背景には、こうした厳しい現実があるのだよ。それでも、こんな状況をただ嘆いているだけでは何も変わらない。もしかしたら、このブログを通じて、博士課程の現状やアカデミアの構造問題を少しでも多くの人に知ってもらうことが、私にできる一つの役割なのかもしれないと思っています。
言葉で伝えるのが難しい学生さんは、このnoteを是非親御さんにURLなりLINEで送ってみてください。コメントにも答えますんで、お気楽にご質問ください。


そして最後に、

博士課程に進むことを考えている人たちに、ぜひ知ってほしい。博士号を取るということは、「夢を追うこと」だけではなく、「現実に向き合う覚悟」が必要だということを。

私だって、こんな落ちこぼれになるために博士課程に進んだわけじゃない。

不安だ、という私に背中推してくれた両親にもちろん感謝してる。

やってやるぞと意を決して上京したあの日だって。


なかなか理解されない、博士課程の学生さんたちへ。

がんばれ、無理するな。


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