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高学歴親、子に自分と違う道を歩ませるという選択【女医が思う子育て#2】

高学歴親という言葉を巷で耳にするようになりましたね。
毒親、親ガチャ、、
いつの時代も子育てに親は悩み続けているんでしょうね。当たり前ですよね。みんな、初めての子育てなんだから。
自分は高学歴親ってことになるんだろうなーということで、子どもの進路について思うことを書きます。

うつぶせ寝やハチミツのように昔の子育ての常識が未来で覆ることは今までも往々にしてありました。
それは教育界だけではありません。医療界でもあります。
例えば、創傷治癒に関して。傷はどうやって治すといいの?ってことです。昔はガンガンにイソジンやマキロンなどの消毒液を塗りたくってました。今はむしろ消毒液が粘膜組織を損傷する、治癒遅延の原因となりうると言われています。とにかく流水でよく洗うことが推奨されています。消毒はいらないんです。
このように、今の常識がこれからずっと常識とは限らないのです。

だからこそ、我々親世代が歩んできた道が今は正しかったように思えても、これからもそうとは言えないと思うんです。
私は高学歴親と巷で言われる医師という職業に就いています。自分の歩んできた道に誇りや感謝の念を持っていますが、だからといって子どもたちに同じ道を歩ませたいとは思っていません。医者になって欲しいと思ってません。なって欲しくないとかではなく、〇〇になって欲しい、という気持ち自体がないです。

語弊がないようにもう少し詳しくお話すると、
①今後、「何者か」である必要がなくなってくると思っています。
―医師、エンジニア、漫画家など様々な職業がありますが、これからはほとんどの方が何足もの草鞋を履き、「私はこういう者です。」とは言いにくい時代に入ってきていると思います。現に、俳優なのかアーティストなのかモデルなのかどれがメインでお仕事されているのか分からない方もいますよね。そんな多方面で活躍している八面六臂な人に注目も集まりやすくなっています。
②自分の生き方がこれからの時代に通用しないだろうと思っています。
―私はぼーっとした子どもでした。末っ子で自分の考えを持たずに反抗心もなく轢かれたレールを進んできたような感じです。努力はもちろんしましたが。自分で決断した進路とはいえ、その過程には親など周りの誘導をもろに受けていたんであろうと推測します。その結果、医師として精進していますが、お金の知識や教養など社会で生きていく基本的なスキルレベルが低いなと自覚しています。そういう医療関係者は結構多い肌感覚です。そのため親になってからそのあたりの分野の勉強をしています。
③AIの脅威
―もう、「この職業になったから安心」っていう時代は終わったなぁということです。もちろん、「この大学に合格したから将来安泰」っていう時代はもっと前から終わっていると思っています。0から1を作り出せるか否か、正解のない状況下で自分の意見を持ち言語化し他者と共有できるか、そんな時代かなと思っています。これをやればいいよなんて与えられたものを疑うこともせずに素直にやる子どもを量産してはいけないんじゃないかなと思っています。

でも、自分と違う道を歩ませる選択を実際にしていくことってすごく精神的ハードルが高くないですか?頭では自分と子どもは別の人間とは分かっていても自分が与えられた環境を与えずに別の道を進むという選択にはそれなりの勇気がいるっていうのが所詮人間。
「なぜこの道を選択するか」という根拠を何度も自問自答します。
子どもが自分の気持ちややりたいことを言語化できる、表現できるようになれば子どもに聞けばいいですがそうなるまでは結局親が良かれと思って環境を与えてやるしかない。
しかし、根拠を持っていざ進んでいくと全然気にならなくなります。
私は小学校受験全落ち→都内公立小学校→中学受験で中堅私立女子校→医学部進学と歩みましたが、長男には中学受験をさせない選択をしました。厳密にはまだ小学生なのでさせない予定でいるって感じです。

次はなぜその選択をしたかについて書こうかな。かなり自分の中でも方針が180°変わったような選択だったので。

【女医の思う子育て】シリーズでは総論的な私の考えを投稿しています。もっと具体的に、「じゃあ、結局おたくは何してんのよ普段」っていうところももちろん今後投稿していきます。

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