Humpback Whale – Songs Of The Humpback Whale (1970)
音楽の文明史を転換させた一枚である。本作の誕生のきっかけは、1950年代にアメリカ海軍の技術者だったFrank Watlingtonが、ソ連の潜水艦探知の最中にザトウクジラの声を偶然捉えたことだった。Watlingtonの録音を耳にした生物学者Roger S. Payneは、クジラの鳴き声が持つ芸術的な美しさに感動し、またその持続性を持つメロディの中に一定のパターンがあることに気づいた。
Payneらの海中における地道なフィールド・レコーディングを集めたこのアルバムは、クジラの声が複雑な構造を持つコミュニケーション・ツールであることを証明した世界初のLPだ。人々は、歌を歌う生き物が自分たちだけではなかったという事実に驚愕し、クジラに対する愛情とシンパシーを大いに深めた。実際、クジラの生態保護を訴える環境活動家は、72年のストックホルム会議の場内で本作を流すパフォーマンスを行い、商業捕鯨国を露骨に批判しようとした。
極めつけは9分半の「Solo Whale」だ。クジラの歌が持つハイトーンなかわいらしさと低音の圧倒的な迫力をクリアに捉えた決定的なテイクである。この高低の対比は、クジラの歌が海の表層部では高く、深部では逆に低くなる傾向を持つことを示しているという。B面全体を占める「Three Whale Trip」には落ち着く海の波音も含まれており、絶え間なく続くクジラ同士のセッションは聴く者に壮大なトリップ体験をもたらしてくれる。
環境音楽としては異例のセールスを上げた『Songs Of The Humpback Whale』は、さまざまな音楽にインスピレーションを与えている。Kate Bushはデビュー・アルバムの冒頭でクジラの歌を引用し、一方、クジラとの創造的なデュエット・アルバム『Whales Alive』を発表するPaul Winterのようなミュージシャンも現れた。