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市川染五郎 – 市川染五郎の青春 (1971)

 歌舞伎の名優、八代目 松本幸四郎として知られた初代 松本白鸚の長男である市川染五郎(現在は父の名を襲名し、二代目 松本白鸚を名乗っている)は、ミュージカル俳優としても知られる存在だ。伝統芸能が本職だが幅広い演劇の分野で活躍し、歌謡の世界でも度々作品を発表している。
 現在では生涯を通じたライフワークとなっている「ラ・マンチャの男」の歌は1970年のニューヨーク公演で歌ったように英語で収録されている。オリジナル盤の帯によると、若きブロードウェイ俳優のファーストアルバムという触れ込みで発表された本作だが、シンガーソングライターとしての才能も伺わせる自作曲も収録された。彼自身の筆による「野バラ咲く路」は1967年にシングルでヒットを飛ばした名曲として知られ、フォーク系オムニバスでも登場する。編曲を手掛けたのは、日本のジャズ黎明期に行われた「モカンボ・セッション」の参加メンバーであるジャズギタリスト澤田駿吾だが、シングルの発売から4年を経た本作では再録されている。エレクトリックなバンドサウンドの印象が強かったシングル版と比較すると、ギターやフルートのアコースティックな旋律が映え、初々しかった歌はより落ち着いて伸びやかになった。
 「野バラ咲く路」は意外なことに、シングル発売と同時期の1967年にThe Shadowsによってカバーされている。日本の若き歌舞伎役者の歌は 、ギターインストの最高峰バンドによって「The Wild Roses」のタイトルでアルバムに収録された。60年代にあまた生まれたシンガーソングライターの中でも、市川染五郎は稀有な経験を積んだ存在といえるだろう。