06 生活支援と食支援
以前、「地域食支援」の実践について次の3要件があると述べた。
生活支援の視点で実践する
本人、家族のみならず、地域の様々なサービスを適切に利用して食支援を行うこと
最期まで口から食べられるための社会づくり
この3要件は深堀りしていかなければならない。そこで今回は、「生活支援の視点」ということを考えていく。前述したが、私の考えている地域食支援とは在宅生活における食支援である。
病院であろうと在宅であろうと、医療者だけの判断、本人・家族だけの判断ということはありえない。お互いの意見、考え方、意向のすり合わせである。しかし、病院では医療者の判断が強くなり、在宅では本人・家族の意見が強くなる。その差は目的にある。病院はあくまで疾患に対する医療であり、在宅はその方の生活場面である。
問題は、そのさじ加減。病院と対比して在宅では医療的な判断や押しつけが少ないのは確かであるが、すべて本人の一存というわけにもいかない。本人、家族には医療的な知識がなさすぎるケースが多い。
これは全く別例であるが、歯科の外来診療で、高齢の女性が来院された。ほとんどの歯が残存して機能もしていた。ただ、黄ばんだり、黒くなっている歯が多くあった。本人の希望は、「全部の歯を抜いて総入れ歯にして欲しい」とのことだった。気持ちはわかるが、さすがに別案を提示した。
つまり、本人、家族の意向のなかで、その気持を最大限汲み取り、医療的な状況も照らし合わせながら最善の方法を考えていく。これが在宅での判断になる。
その中で、必ず出てくるのは「死んでもいいから食べさせたい」問題。食支援を実践する者すべてが通る道だ。私自身も何度か経験してきた。結論から言うと、全ての方が食べられるようになった。私の限られた経験から言うと、この問題発生の根源には「食べられるはずなのに食べさせてもらえない」という家族のストレスがあるようだ。全く食べられない、意識もない、意欲もないのに家族が「食べさせたい」と言うことは少ない。「食べさせてもらえない」という医療への抵抗から来ていることが多いように感じる。
この問題から派生して考えると、家族は何でもいいから口から食べてほしいと思っているわけではない。いつものように、同じ食卓で(いつもお父さんが座っていた場所など)、家族と同じものを食べることを望んでいる。もちろん医療的判断で実現できないこともあるが、決してベッド上〇〇度ベッドアップとか、トロミをつけたものや刻み食を望んでいるわけではない。このことは生活支援者として忘れてはならない視点である。
生活の中で食べることは重要な因子である。だからこそ、在宅で生活されている方の食支援は重い。地域食支援の根源はここにある。