【ふしぎ旅】島崎川の河童
新潟県長岡市(旧三島村)に伝わる話である。
この話、同様の話として、江戸時代の僧侶、書家として高名な良寛さんが晩年を過ごした木村家の近所にある桑原家に、河童の妙薬が伝わっている。
良寛さんはその妙薬に関して「阿伊寿(あいす)」と呼び「水神相伝」という)薬の由来と効能書きを残している。
なんでも血止めと骨接ぎの妙薬でであるらしい。
このため、桑原家は「河童医者」と呼ばれたとある。
良寛さんの書もあるので、むしろこちらの方が有名だ。
ただし最初の伝説が正保2年(1646年)とあるので良寛さんの時代よりは100年以上も前のことだ。
その頃は双六石(バックギャモンの駒)くらいの大きさの得体の知れない石とある。
どちらも桑原家の話なので最初に石があり、その後、石を研究して薬化したということなのだろうか。
こちらの石の方は今は袋の中に入っており、袋を開けてはいけないと伝えられている。
河童医者と呼ばれた桑原家は、今もある。
良寛終焉の地として、「はちすば通り」として、整備されている通りの終点が、島崎川であり、その川のすぐそばに建っている。
良寛が晩年を過ごした木村家とは、通りを挟んで斜め向かいに建っている。
良寛さん目当てで訪れる人は多いだろうが、河童目当てで訪れる人は少ないだろう。
島崎川は今でこそ整備されているが、江戸の時代はのどかな川だろうと思ったが、船着き場があり米などの河川運送で賑わっていたそうだ。
とは言え、コンクリートで護岸整備されているわけでもなく、今ですら、田園地帯が広がる中にあるのだから、江戸の当時は河童くらい住んでいても不思議ではないくらいの川だったのではないだろうか。
また、思ったよりも川と家が近いためと、最初の伝説が川辺で起こった話でなく、わざわざ馬小屋に忍び込んでという話だったため、もしかしたら舟乗りの中に悪いものがおり、米蔵から米を盗んだのを見つけて退治したという話が、河童の話に変わったかもしれないのかもと思ったりもした。
雲助が悪さをするという話はよく訊くが、船乗りはどうであったのかは分からない。
先ほども記したが、この辺りは良寛さんにまつわる土地であり、その記念碑などは多くあるが、河童に関しては説明板なども無い。
そのようなものがあれば、案外と物好きがあつまりそうなものであるが、実は各地の河童伝説がある所でも賑わっている所は多くは無い。
遠野のカッパ淵などが例外的なものだろう。