「幸せになる勇気」は見返りを求めない究極の哲学なのだ!
今回は、アドラー哲学について書かれた「嫌われる勇気」については先日書きました。「幸せの勇気」は「嫌われる勇気」の続編です。
この本は、出版されたあと、しばらく読んでなかったですね。発売されてから、2,3年は経ってたと思います。なぜ読まなかったかというと、「嫌われる勇気」でアドラー哲学については理解した、そしてそこから大きな進展はそんなにないでしょうと不敵にも思ったからなんです。が、これがとんでもなかったです。
「嫌われる勇気」がアドラー哲学の入口に過ぎなくて、「嫌われる勇気」よりもめちゃめちゃ深い内容でした。
やっぱり青年と哲人との会話
この本は、やっぱり青年と哲人との会話で構成されています。ただ、青年も一旦立ち直って先生これから前向きに生きてますと言って、でもうまくいかなかった後だから、とんでもなくひねくれて帰ってくるですね。先生の言ったとおりにやったのに全然うまくいかんかった、どうしてくれるんやという感じです。哲人の言っている事に一度は納得してその通り実践して、やっぱり裏切られたんで、愛しさ余って憎さ100倍みたいな感じになってます。あまりのひねくれ度合いに受けますよ。
青年の悩みの内容
では、肝心の青年の悩みの内容は何か?それは次のようなものです。
「嫌われる勇気」の後に、青年は学校の先生になるんですね。哲人の話に感銘を受けた後なので、理想を追い求め、生徒を褒めるとか叱るとかを一切やらない先生になりました。でも、生徒からなめられてしまって、学級崩壊が起こってしまったというわけです。それで仕方なく生徒を叱るようになってしまったと。叱らない学級運営は不可能で、褒めるとか叱らないようにするというアドラー哲学は理想論に過ぎないと言うのがこれが青年の悩みです。
そして、アドラー哲学は嘘だ、ペテンだとなるわけですね。
哲人はどう答えたか
それに対して鉄人はどう答えたかがとてもすごい内容なんですね。
でも、すみません、細かいところはよく分かりません。長々と愛とか共同体思想とか語っていてちょっと難しすぎるんですよね。
でも、わかることは、自分の言うことを聞かなかったり、敵意を剥き出しにする相手に対しても尊敬で接しろと諭します。相手が自分のことを尊敬するかは関係ない、自分が相手を尊敬することが大事で、これが本当の愛だと説きます。そして、愛とは厳しく積み上げるものだとも説明します。
これを読んだ時、ガツンと頭を殴られたような気分になったんですよね。それまで、僕は色々とうまくいかないことがあれば、怒ったりしていたんですが、それは間違っていたんだよなと気づきました。相手から尊敬をされたり、自分の言うことを聞いてくれたりといった結果を求める行為は、自分のエゴであったんだと思い知らされました。
しかし、中々実践は難しいんですよね。うまくいかないことの方が多いです。どうしてもイライラすることが多いです。
「幸せになる勇気」は哲学の究極の形
「嫌われる勇気」を読んでアドラー哲学を理解していたと思っていましたが、全然甘かったです。全然入門編に過ぎないです。「幸せになる勇気」こそがアドラー哲学の応用編であり、哲学の究極の形と言えるでしょう。難しすぎて、僕も全部理解できたとは言えないですが、すごい内容が書かれています。
「嫌われる勇気」を読んで良かったと思う人は、ぜひ「幸せになる勇気」も読んでみてください。