自己紹介 Part1
一般社団法人 音楽発達サポート協会 代表の関野麻里子です。
私のプロフィールを少しずつご紹介してまいります。
お読みいただけますと嬉しいです。
【学びとお仕事のバランス】
私が今までやってきたことを並べていくと、学びはインプット、お仕事はアウトプットと考えられるのではないかと思います。
これから、そのふたつのバランスを考えてみましょう。
【20歳台のわたしは音楽教室の先生】
20歳台は、音楽教室の講師としてお仕事の時期でした。
表向きにはアウトプットですが初めてのお仕事ですので、体系化された音楽教育メソッドをインプットした時期でもありました。
【30歳台のわたしが最初に入学したのは、心療内科に併設された学院と放送大学】
30歳台は、様々な教育機関に所属して学びをスタートした時期でした。
音楽教室の指導で出会った子どもたちに、心のケアが必要なのでは?と思ったのですが、まだ心の問題について何も分からず、未熟だった私が最初に門を叩いたのは『心療内科』に併設された学院でした。
これも偶然の出会いだったのですが、たまたま参加した医療従事者向けの講座で購入した雑誌広告を見て、荻窪にあった『日本医療心理学院』に電話をしました。
うる覚えなのですが、入学対象者は、心理系大学院生や医療従事者だったと思います。
私の当時の経歴は全くあてはまらなかったのですが、勢いに任せて理事長先生にやる気と想いだけを正直にぶつけて入学許可をいただきました。
そこでは、心身医学(心と身体は繋がっている)を学び、音楽発達サポート協会の土台を作りました。
その当時、日本ではまだ心療内科を掲げている病院があまりなかった1995年ころでした。
外科や内科の医師たちも学びに来ていたのが印象に残っています。
最初に飛び込んだ学院が、医療と心理の専門家を対象とした場所でしたので、最初の授業から医学用語やら薬の名前やら心理学の用語がいっぱい出てきて全くついて行くことができませんでした。
そのことを学院長の桂戴作先生(日本心療内科学会 初代理事長)
にご相談したところ、放送大学に入学しなさいというお言葉でした。
放送大学では医療や心理学を幅広く学べるということでした。
学院に入学したのが4月で、放送大学に入学したのが同年9月でした。
【さいごに】
そこから私のハードなインプットの日々が始まりました。
それと並行して、個人のピアノ教室を開き、子どもへの指導は続きました。
私の自己紹介は、また次につづく。
お読みいただき有難うございました。