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兄と私の記憶

私は昔から兄が大嫌いだ。自覚し始めたのは幼稚園の頃。

小学生の頃も、中学も。高校、大学に入ってからは、兄をわざといじめ出した。母がそうしていたから。

自閉症を持つ兄の癇癪は凄まじく、母もそれに負けじと兄に癇癪をぶつけているのをほぼ毎日見ていた。それと同時に兄を甘やかして、私に大きな期待をかけるのも忘れなかった。

「お兄ちゃん可哀想だと思わないの?何にもできないんだよ?あんたは自分でなんでもできて楽しみもあるからいいでしょう?でもお兄ちゃんは何にもできないんだよ」

そう言いながら兄が癇癪を起こせば、わざと兄の大切にしているノートをビリビリに破って部屋中にばら撒いた。

兄は大泣きしながら集めることも出来ない。いよいよ癇癪は酷くなり、兄は捨て癖が出始めた。

私のアイデンティティの拠り所だった父との写真の載ったアルバム、幼い頃好きだった植物図鑑、私の学校の文集、全て捨てた。

そんな兄に私は日頃のストレスを発散するようになった。

兄を怒鳴ったり蹴飛ばしたり、気持ち悪いと言って頭を本の角で殴ったり。

もちろん跡が残らない程度だ。

包丁を持って「痛いぞ痛いぞ」と家の端に追い詰めたこともある。

兄は重度の知的障害で命乞いなど分からない。ただただ泣いて首をぐるぐる回していた。

やっと私のフラストレーションは一時的に解消された。

兄がこの世に存在していなければ。私は妊娠に怯えたりもせず楽しく暮らせたはずなのに。

障害を持ってきたのは仕方がない、けれども仕方のないことと受け入れることは全く別物だった。

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