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0-1

今日は私の誕生日。私は今日で21になった。
なったと言うより、なってしまったが近い。
気づいたら、こんな歳に。
0から1に進んでしまった。
私は未だに0のままだ。
手探りで生きていたけど、手に残ったものはスカスカの私だった。
0から1を生成出来てないのに、歳だけが先へ行く。

生きるための夢や目標がない私。
生きようと必死になった経験でいうと、
いつも溺れかけていた水泳の時間くらい。
21と言われ、20の頃よりピンと来ない。
私はまだまだ幼いのだ。思い出に取り残されている。

20歳の1年間、夢を持つ人に触れる機会が人生で1番多かった。
それはたとえゴールが見えなくてもガムシャラで、真っ直ぐな人。
それはたとえ得が無くても、それを損と思わずバネだと思う人。
何もかもかっこよくて、眩しかった。
眩しい太陽には手をかざしたくなる。
目に焼き付けようと必死だった。
涙が出てることに気づかないくらい必死だった。
見れば見るほど苦しくなってしまった。
やけどしたかのようにじわじわと痛む手のひらで、夢へ走れなかった幼い頃の私が泣いている。
もう21歳になった。夢に向かって走ったことがない私は、将来幸せになれるのだろうか。

洗濯物のシワを伸ばせない私だけど、今日も洗濯物を回さなければいけない。
つける下着が無くなるから、服がいい匂いじゃなくなるから。

私の心が幼かった頃、洗濯物はお母さんの仕事だと思っていた。
大人になってからあれは誰の仕事でもないことに気づいて、泣いてしまった。
子どもだった私は、手伝うという言葉でお母さんを労っていたが、それは間違いだった。
お母さんの仕事だと思っていたことは、全て愛情が原動力であることに気づいたのはもう少し後だった。
私は自分の服じゃない誰かの服を、愛情で洗濯してあげる気持ちが芽生えない気がした。
私は私のために愛情を込めたご飯が作りたい。
でも、21歳になった。将来、自分の愛情ひとつで動きたいと思える人が現れて欲しいと、少しだけ願ってみる。


いつの間にか、湯船に浸かる時間が無駄だと思うようになった。
アヒルを浮かべて遊ぶ時間は省略するのがデフォルトになった。

もう大人だからね

時間の使い道を間違えると、もどれないの。
アヒルで遊んでいた時間を全て巻き戻せたら、幸せになれるのかな。

私が大人になったと思った瞬間一つ一つ、全てが子どもの背伸びだった。
背伸びして大人ぶったら、大人気ない子どもが出来上がった。
私は見かけだけは一丁前なただの子どもとなった。

幼い頃に比べて、嘘が上手になった。
嘘が思いやりになる場面が増えたから。
取り繕い方を知ったのだ。
水玉にチェック柄でツギハギするような、そんな取り繕い方ばかりだけど、大丈夫って言った方が何事もスムーズなのだ。
自分の気持ちを押し殺すことは、絶対に良くない事だと言えない。
本音を言わない方がいい時の方が多いんだもん。
本音を伝えて良い方向になったことなんて、寮にいた頃、お母さんのご飯が食べたいとLINEで伝えたら、冷凍でお母さんのご飯が送られてきたことくらい。
周りに、社会に、過敏な人間になった。
他人の評価が自分の絶対だと感じてからだ。
10年前の私に戻ったところで、
今とは違う未来が生まれるとは思えない。
幼い頃からの積み重ねで私が出来ているから。



大好きなおじいちゃんおばあちゃんに会いに行った。
久々のおばあちゃんの口からおじいちゃんの悪口が聞こえた時、私は耳を塞ぎたかった。やめてと口にしたかった。
私の幼い記憶だと、おじいちゃんとおばあちゃんは仲良しとまでは言えないけど見てて楽しそうな夫婦だったのに。
いつの間にか、大きな亀裂が入ってしまっていたことも大人になった私は見逃さなかった。
子どもの頃の私なら、あの空気感には気づかないだろうな。
大人の私は、気付いてないふりをした。
ドラマを見るおじいちゃんの背中があまりにも小さくて、おじいちゃんの声がか細くて、帰りの車で泣いてしまった。

子どもの頃の私は、花を摘んでは愛おしく思った。
それが残酷な事だと知るのは、やはり大人になってからで。
大人の私は、散った花弁をひたすら集めては愛おしく思うのだ。

好きだった人からの幸せな一年にしてねが、
この世で何よりも悲しかった。
少し強がって、見届けてねと返したけど
君と幸せになりたかった。
ばーーか!って家で叫んだら
いつの間にか涙も言葉も止まらなくて、
涙を拭きながら笑うことしか出来なかった。
自分の気持ちを大事にしてあげられなくなったことが何よりも悲しいのだ。

私の気持ちに反して時間が過ぎ去るから、しょうがなく大人のフリをしているけど、実際は置いてけぼりだ。
取り繕うほど先の自分の首を絞める。
完璧に取り繕れるほどの私ではないから。
だから今でも涙は溢れると終わりを知らないし、自分で機嫌を取れない時もある。
自分ってつくづく人間臭いな。
人間らしさに溢れかえっては溺れてる。
21歳もきっと私の根本は成長出来ないんだろうな。

でも、でもいつか私にとって意味のある日が来て欲しいなと願う。
いつか太陽を見ても目を背けなくて済むような夢の追い方をしたい。
いつか愛情だけで動ける相手に出会いたい。
いつか全ての時間が意味のあるものだったと思いたい。
いつか本音の打ち明け方をマスターしたい。
幼い頃のように、いつかおじいちゃんおばあちゃんと海沿いの魚屋さんにまた行きたい。
いつか、大事な人の幸せな未来までも願える人間になりたい。

そういえば、今日とんでもなく晴れてた。
雲も全然なかった。泣きたくなるくらい綺麗な空だった。
感傷的な日ほど嫌がらせかと思うような天気になるのは私だけなのだろうか。
まあ誕生日だから祝福してくれたと思うことにする。
でないと割に合わないのだ。

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