サラバ! 物欲 <1> (創作大賞 お仕事小説部門)
あらすじ
僕は福田。某アパレルメーカー勤務の新入社員。
服やスニーカーが大好きだ。目についた自社品やスニーカーをいつも買いあさっている。いわゆる物欲の塊。僕を形容するのに、一番ふさわしい言葉がそれだ。そんな僕の教育係が、同じ部署で入社10年目の田中さん。田中さんは僕とは全く正反対で、物欲がない。同じメーカー勤務なのに、こうも違うのか。理由はよくわからない。先輩と過ごすことで、僕はどう変わっていくのか。変わらないままなのか……
「メーカー失格かもな……僕は……」
苦笑いを噛み潰す。手に取ったTシャツをそっとラックに戻し、店から出ることにした。
出社
僕は服とスニーカーが好きで、この会社に就職を決めた。好きなものを仕事にできるって、なんて幸せなことだろう……
期待に胸を膨らましながら、入社式に臨んだのを鮮明に覚えている。
選んだのは某アパレルメーカー。
ショップと違い、メーカーは普段の生活で身近ではない。姿が見えない。それだけに強い憧れを抱いた。何もないゼロから、生活を彩る服やスニーカーを生み出す。人々のライフスタイルを豊かに創造するアパレルメーカー。昔からモノ造りに興味があった僕としては
「もう、ここしかない! 」
と即決めたのだ。就職氷河期ということもあり、就職活動は難航したが、何とか希望の職に付くことができた。
入社して半年。ようやく仕事のペースがつかめてきた。少しずつできることも増えている。
僕は社会人となり、会社の歯車の一つとなりつつあることに一種の誇りを覚えていた。それは、今までにない充実感でもある。なぜなら、仕事で手にしたお金で生活しているという現実があるからだ。そう、僕は今初めての独り暮らしを満喫している。
入社して1ヶ月後の5月。僕の配属先は、大阪支店だった。
東京入社の僕が同期のうちただ1人だけ大阪……
最初は全く腑に落ちなかったものの、会社の命令ということで潔く諦めた。そして、充実感をより大きくしたのが、給料を自分の好きなように使えることだ。大好きな服やスニーカーを躊躇なく買った。欲しいと思ったモノはすぐ手に入れることができたのだ。というわけで、毎月やってくる給料日が待ち遠しくて仕方ない。
「今月は何を買おうかな……」
インターネットでウインドウショッピングしながら、ワクワク。上司から給与明細を渡されたその日のうちに、ネットでポチッというのもザラだった。
僕が働いている理由は、欲しいモノを手に入れるため。そんな単純な理由かもしれないな……とは言え、好きなモノを好きなだけ買えるというのは、味わった事のない喜びだ。それに、自社の商品も社員価格で購入できるというのも、買い物に拍車をかける。
「メーカーたるものは、身の回りのモノを自社製品で固めないとならない」
社内にはびこる暗黙の圧力に僕は圧倒され、次々と自社製品を購入していった。入社直後の家のクローゼット内での自社品はゼロ。それが、時間を追うごとに一着、また一着と増えてくる。我が家に招き入れた服たちは、社会人として時間を積み重ねてきた証拠。僕は何故か、ここでも誇らしく感じた。
「さてと……そろそろ行きますか」
僕はハンガーにかかっていたスウェットパーカーを羽織る。今の季節はこれくらいが丁度いい。鏡をみながらファスナーを半分だけ閉める。今日も見事に上から下まで自社品だ。鏡に写った僕は少し苦笑いを浮かべる。狭い部屋の中を僕は大股で数歩歩くと、あっという間に玄関に到着した。
玄関には100均で購入したシューズラックが数個、天井近くまで積みあがっていた。
「今日はどれにしようか」
服と靴のコーディネートはその日の気分で決める。すでに10足以上に膨れ上がっていたコレクションたちのおかげで、毎日違うスニーカーを履いていけるようになった。
服を日毎に着替えるように、スニーカーも履き替える。スニーカー好きとしては、この上ない幸せだ。
「よし、こいつに決めた」
僕は数秒迷ったのちに、真っ黒なスニーカーに決めた。このスニーカーはどんな服装にも合わせやすいので、特にお気に入りだ。僕はかかとを踏まないように慎重に靴をはき、ゆっくりと玄関扉をあけた。
会社までは自転車で10分ほど。僕が新入社員ということもあり、会社近くに寮としてマンションのワンルームを準備してくれた。いいんだか、悪いんだか……
あっという間に会社の事務所のあるビルにたどりつく。僕はふうと息を吐きがら、エレベーターへと乗り込んだ。
事務所の扉を開いて、挨拶をしながら自席へと歩いていく。
周りに目をやっていると、思いもよらぬ光景に目を疑った。
「げっ、スウェットがかぶってるじゃん……」
なんと、僕とまったく同じ商品を先輩が着ていたのだ。
ジップアップのスウェットパーカー。色も形も一緒。同じ会社であれば、よくあることかもしれない。むしろ後から入社してきた僕に対して、先輩のほうが「なんだよ、あいつ」と思ったかもしれないが……
先輩にばれないように、視線を合わせないように、僕は速足で自席に向かう。
「おはようございます」
僕は先に来ていた先輩へ挨拶をすると、すぐさまパーカーを脱いでリュックの中に押し込んだ。先輩とは言え、かぶるのは嫌だ。
同じ会社で、同じ空間を共有していれば、どうしても好みが似通ってくることは否めない。同じ服を着てくることは自然な流れかもしれない。でも、お揃いなんてまっぴらごめんだ。
僕はまわりに聞こえないように、小さく溜息をはき、パソコンを立ち上げた。
買い物の楽しさとは
給料日明けの待ちに待った週末。
僕は早速街へ出かけることにした。お目当てはスニーカーだ。給料は寮費・食費・生活費を差し引けば、あとは自由に使えるお金。
もちろん、生活に支障をきたすほどの買い物はできないが、スニーカーを一足買うくらいの余裕はある。いや、余裕が出るように、少しばかり調整もしている。それもこれも、日頃仕事を頑張っている自分へのご褒美である。
買いたいスニーカーはだいたい目星がついている。ネットで事前調査を行い、抜かりはない。正直言って、ネットショップの商品画像を見ただけでもワクワクするのに、実物を手に取ったら……ニヤけが止まらない。
地下鉄で心斎橋へ移動、一路アメ村に向かう。スニーカー好きの自分にとって、ここは心のオアシスでもある。一週間の疲れた心を、大好きなスニーカーに囲まれて癒してもらうのだ。やはり、「好き」というエネルギーは偉大だ。
休日の雑踏をかきわけながら、スニーカーショップを何件かまわる。実際に目で見て手に取って、形や肌ざわり・重さ・感触・臭いなどを確かめる。いつもパソコンモニターに穴が開いてしまうほどスニーカーを眺めているが、スニーカーとリアルに対峙するのとでは雲泥の差だ。ついつい夢中になってしまう。
時間をかけてスニーカーを触っていると、店員さんに声をかけられた。
「お客様、よろしければサイズをお出ししますので」
僕はその声にハッとした。
「あっ……はい」
慌ててスニーカーを棚に戻した。実のところ、今日の目的地はここではない。堀江のショップだ。僕は少し気まずい気持ちになりながらも、店を後にした。アメ村から阪神高速の高架をくぐりぬけ、四橋筋を渡り数分後、お目当ての店にたどり着いた。
ここはさきほど見てきた店とは違い、新品のシューズだけでなく、デッドストックと言われる既に生産が終わっている過去の商品や、ユーザーから買い取った中古品なども取り扱っている。つまり、レアものの宝庫。スニーカー好きにとっては楽園のような場所なのだ。僕にとってもそれは、例外ではない。
店に入ると鬱蒼と立ち並ぶスニーカーの森が僕を迎えいれてくれた。その森に迷い込んだら、しばらくは出てこられない。たくさんのスニーカーが僕をひきつけて離さないからだ。
スニーカーたちは肩を寄せ合うように、所せましとならんでいる。僕はその間を引き剝がすように、気になったスニーカーを手に取って吟味する。どこを見渡してもスニーカーが視界に入る様子は、まるでスニーカーが大量に浮かぶ温泉につかっているようなものだ。僕はその温泉につかりながら、一歩歩くたびに気になったスニーカーを手に取る。押し寄せる「好き」の波に僕は飲み込まれて溺れた。まさにスニーカーの大渋滞だ。クラクションを鳴らしても前に進むどころか、動く気配すらはないのである。
「これも、いや、あれもいい……」
僕は次々と目に入ってくるスニーカーに誘惑されながら、欲望の赴くまま吟味していった。今この瞬間、僕のスニーカーに対する物欲のボルテージはマックスに近いものとなる。そして、物欲に支配された獣が僕の中で暴れまわる。僕は目いっぱい手綱を引くも、抑えられそうにない。 なぜなら、目の前には僕の大好きなごちそうが食べきれないほどに用意されているからだ。
スニーカーを手に取れば取るほど、物欲は大いに刺激されていく。
ここまで来ると、買わずに帰ることは困難。 手ぶらで帰ってしまえば、むしろ後悔しそうなくらいだ。こうして僕はゆっくりと店内を進んで行った。
僕はまた1足、また1足とスニーカーを手に取り、自分の足元に当てて何度も確かめる。スニーカーと共に過ごす理想の自分を想像しながら。
もし願いが叶うなら、ここにある欲しいと思ったスニーカーは全て手に入れたい。何度そんな風に思ったことだろう。でもそれは叶わないから一足に絞る。
僕の中の荒れ狂う猛獣は、まるで飢えた犬のようにダラダラとよだれを垂らしながら、スニーカーを求めさまよい続ける。心の渇きを癒すには、もう買う他に選択肢はないのだ。
歩くこと数10分。手に取ったスニーカーに衝撃を受ける。
「これだ……僕が求めていたのは……」
色、形、素材感、ソール、どれをとっても僕のハートを射抜くには十分すぎるデザイン だった。それに加えて絶妙な価格。新品ではないが、商品の状態がいい美中古ということで値段も割安。 僕の喉からは、今まさに物欲という名の化け物が手を出し、このスニーカーを欲している 。
「これがいい!これがいい!」
そんな心の声が、胸の奥底からグツグツと湧き上がってくる。ここまで来たら、もう制御不可能。僕はスニーカーを手に持ったままレジへと向かった。そして、自分の意志とは関係なく、喉の奥から声が発せられた。
「すいません! このスニーカーの27.5ってありますか? 」
僕はカウンターテーブルの上にスニーカーを差し出した。
パソコンで作業していた店員がパッと顔を上げる。
「はい! 少々お待ちください」
そう言うと店員は裏へと姿を消して去っていった。
どうか、サイズがありますように……祈るような気持ちで待つ。
数分後、店員が靴箱を抱えて戻って来た。
「おまたせしました。27.5はこちらになります」
ああ、あったのか。僕はほっと胸を撫で下ろした。
店員はスニーカーの箱をゆっくりと開き、中身を取り出す。
僕は、スニーカーを受け取ると丁寧に靴紐を緩めていく。いよいよ、僕とスニーカーが1つになるときだ。
シュータンを引っ張り、かかとを踏まないように指で押さえながら足入れをする。もう片方の足も同じように履く。僕はその状態のまま、姿見の鏡のほうへと歩いていった。
鏡の中に写る自分の足元に注目すると、スニーカーを変えただけなのに、がらりと印象の変わった。スニーカー全体が見えるように、つま先の向きを変えたり、ズボンの裾をシュータンの内側に入れたりする。
このスニーカーと生活していく日々、コレクションに加わる満足感を想像してみる。すると、僕の胸にこの上ない充足感が訪れてきたのだ。
時は満ちた 。今が買うべき時だ。僕の心は完全に固まった。
「すいません。これお願いします」
僕をスニーカーを脱ぎながら、店員へと手渡した。
「ありがとうございます。それではお会計の方が22000円になります」
僕は財布の中から1万円札2枚と1000円札2枚を店員に差し出す。
「はい、ちょうどですね。ありがとうございます」
店員は店のロゴが入った紙袋にスニーカーの箱を入れ、両手で僕に渡す。
その袋の取っ手をつかんだ次の瞬間、スニーカーは僕のモノとなる。今日のミッションは達成だ。ここまで来てようやく、僕を包み込んでいた物欲が、今まで暴れていたことが嘘のようにどこかに消えていった。僕の心は満たされたのだ。店から出た僕は他のことに一切目もくれず、帰り道をまっすぐ歩く。足取りはとても軽い。
僕は自宅に着くと、箱からすぐにスニーカーを取り出した。手元でスニーカーをぐるぐると回しながら、改めて色々な角度から眺めてみる。
「やっぱり、カッコイイな……」
欲しかったスニーカーが今目の前にあり、自分のモノとなる。
「この満たされた感覚が、幸せということなのか……」
僕の頭に、不思議な言葉がよぎる。
「まあ、別にいいや。欲しいスニーカーが手に入ったから」
浮かんできた思いを、振り払った。
僕はスニーカーを少しの間見つめると、シューズラックの空きスペースに入れた。その存在感はまばゆいばかりの光を放ち、他のコレクションを圧倒している。
新入社員で大阪に着任して数ヶ月。ジワジワとスニーカーが増えていくことに、密かな喜びを感じた。友人や知り合いのいない関西での一人暮らしは、スニーカーが心の寄りどころだった。不意に訪れる寂しさや心細さは、スニーカーが打ち消してくれる。そう気付いた時、狭い玄関はスニーカーで溢れそうになっていた。
モノ言わぬ彼らは励ましてくれたり、元気づけてくれたりするわけではない。ただ、そこにいるだけ。たったそれだけで、僕のスキマを埋めてくれるのだ。空のコップに水を注ぐように。ゆっくり、ゆっくりと……
僕は玄関に頭を向けて大の字で寝転がった。視線の先には無数のスニーカーたちが見える。あのショップのように、こうやってスニーカーに囲まれるのが、いつかの夢だ。
ここで、ふと疑問が湧いてくる。なぜ自分はスニーカーを集めだしたのか。
気になって思考を巡らせると、記憶は小学校まで遡った。
振り返れば、幼い時からモノを集めるのが好きだった。小学生の時は、カードダス、キン消し、ビックリマンシール……一度欲しい!と思ったら、満足するまで買い続けた。そう言えば、ドラゴンボールのマンガも全巻そろえたっけ……
ひとつ買えば、またひとつと次々に欲しくなる。物欲はとどまるところを知らない。どうしても、そろえたくなる。コンプリートしたくなる。欲望に指図されるがまま、僕は欲しいものを満足するまで買いあさった。
欲しい理由は特にない。考えたこともない。ただただ単純に手元に置きたいから、欲しいのだ。そんなシンプルな願望を満たすために、僕は購買行動を繰り返した。
中学生になると、僕の興味関心はコレクションから他のものに移り、次第に熱が冷めていく。「収集癖」とも言えるこの習慣が収まったのは、夢中になれるものが少しずつ変化したからだ。
時が経ち、大学生となると収まっていたはずの物欲が再燃し爆発する。小学生のころは、周りの目を気にすることなく、ひたすらコレクションに没頭していた。しかし大学生ともなると、周りの目を気にしだす。否が応でも、周りと自分を比較してしまう。そんな中で、自分の身なりに関心を持つのは自然の流れだった。そこで僕が一番に興味を抱いたのは足元を彩るスニーカーだ。「おしゃれは足元から」という言葉を曲解し、
「足元さえ綺麗に、カッコよくすればいい」と思い込んだ。
こうして、スニーカーにどんどんはまっていったのだ。それからと言うもの、吉祥寺や荻窪・原宿などのスニーカーショップを練り歩くのが楽しくて仕方なかった。これが、全ての始まりだったのだ。
僕はむくっと起き上がった。
まだだ。まだまだ欲しいスニーカーはたくさんある。
僕は独り言をもらしパソコンへと向かう。
「さあ、次はどのコにしようかな……」
尽きることのない物欲は、完全に僕を支配している。
<2>に続く。