サラバ! 物欲 <6>最終 (創作大賞 お仕事小説部門)
サラバ! 物欲。
そろそろ出勤する時間だ。
あらかじめ決めておいたシャツ、パンツ、ジャケットを衣装ケースから引っ張り出して、急いで袖を通す。この3つのセットは長らく着用している。大のお気に入りだ。
僕は少し気分を高揚させると、自室からリビングを経て玄関に行く。スニーカーも服の色合いによって決めて、シューズクロークから1足出した。かつてこの場所は、僕のスニーカーで半分以上を占拠していた。ここが自分のテリトリーだと言わんばかりに。それが時を経るごとに、僕のスニーカーが減り、子どもたちの靴が増え……今では全体の1/5ほどのスペースに収まってしまった。愛着があって、本当に必要と思うスニーカーだけ残ったのだ。僕はもう一度、スニーカーたちを見回した。古びたスニーカーたちだが、どれもお気に入りだ。
よしっ、行ってきます。
僕はリュックを左肩にかけて、颯爽と玄関扉をでて出発した。
今日もあの日のように、展示会。
新作が一堂に会する。
僕は胸をワクワクさせながら、会場へと向かう。
***
集合時間の30分前に到着。少し早く着きすぎたかな……そうも思ったが、僕はとりあえず、社員控室に向かう。
そこでかつての先輩にばったり会うことになる。先輩は転勤で東京に行き、それからしばらく会っていなかった。
「おはようございます、先輩。お久しぶりです」
「ああ、おはよう。本当だ、ひさしぶり。何年振りかね、元気してた?」 「はい、おかげさまで……」
先輩と過ごした懐かしい日々が頭に甦る。先輩にはたくさん教えてもらったし、モノについて色々と議論を交わした。あのころはまだ若かったなあ……なあんて思ってみたりする。僕らは昔話に花を咲かせながら、会場へと肩を並べて歩いた。
「そういえば、最近も服やスニーカーは買ってるの? 」
先輩が唐突に質問してくる。
久々に会ってその質問って……僕は少し苦笑いを浮かべながら、答えた。「いや、最近はすっかり落ち着いちゃいましてね……結婚して子どももできてからは、さすがに自分のモノだけ増やすのもアレかな……と」
「そうだね。いつまでも自分だけ というわけにはいかないよね」
経験者は語る。先輩はそう言わんばかりの顔で答えた。
「俺も確か、そんなことがきっかけだったように思う。それまでは、『欲しい』から買ってたんだけど、『必要だから』買うになったし、自分に買うから誰かに買ってあげるに変わったんだよなあ」
自分も全く同じことを考えていたことに、僕はドキッとさせられた。
「先輩……僕もまさにその状態になったんですよ。あれだけ欲しい欲しい!と思っていたのに、気持ちが湧き上がってこなくなったんです。もちろん、少しはありますよ。欲しいと思うときが。それでも、モノを見ても感情があまり動かなくなったんです……」
先輩は、僕から目を逸らすことなく、興味深そうに聞いていた。
「そうかあ、面白いね。短期間でそこまで変わるなんて。あんなに欲しがっていたのに。ところで、ちょっと質問を変えてもいいかな? 」
な、なんだ、今度は。先輩との久々のやり取りに僕も何だか面白くなってきたぞ……
「はい、お願いします」
僕はニンマリ笑う。
「スニーカーや服を買う時に、何でこの商品が欲しいとか考えたことある? 」
「いや、特段ないですね」
「そっか。これは、俺の仮説なんだけどね……」
先輩の前置きに、僕はゴクリとつばを飲む。欲しいに理由なんてないだろ。ずっとそんな風に思っていたからだ。
「なぜモノを欲しがっていたのか。俺もキミと同じ状況だったから、ずっと気になってたんだ。考えた末にひとつの結論にたどりつく。それは、心のどこかで、モノをたくさん持ったことで『他の人とは違う、優れている自分、特別な自分』というイメージを持ったんじゃないかな。例えば、勉強でも運動でも仕事でも、他人より優れているという感覚は簡単に持つことはできないよね。だってそれらの鍛錬には、時間が必要になるから。でも、モノだったら簡単。買えば増やすことができるからだ。そこに能力や時間は関係ない。資源をそこに集中さえすれば、他人より優れることができる。つまり……劣等感や心の渇きが原因だったんじゃないかって。キミの今の顔と以前の顔を比べてみればよくわかるよ」
先輩のするどい角度からの指摘に僕の心は鷲づかみされた。強く握られた心から、ようやく声が絞り出される。
「そ、そうかもしれません……」
「キミの顔は今満たされている。あの頃のキミの目は、いつも何かを求めているような目をしていたからね。欲しい、もっと欲しいって。何をそんなに焦っていたのかな」
穏やかな先輩の表情と声が僕の心を和ませる。
「正直自分でもよくわかりません。わかりませんが、とにかく自分を何かで満足させたかったんです。あの頃の僕の全ては仕事でした。満足のいくような仕事ができない以上、手っ取り早く自分を満足させられるのが物欲を満たす。ですから、どんどんハマっていったのかもしれませんね……」
僕は思ってもないことを自分でも口走っていたことに驚く。先輩が見えない糸を引くことで、僕の中から表れた答えだった。
「あ、あと、こんなことも言えるんじゃないかな。モノを買って自分を満足させることは、新しいモノを身に着けて、自分の外側をよりよくしようとすることに繋がるよね。つまり、自分をよく見せようという心の表れ。これが度を過ぎると、物欲を満たさないと自分が満足できないと思い込んでしまう。どうかな? 」
「はい……それは先輩の言う通りです。僕は、自分を飾って一時的に心を満たしていたのかもしれません。しかし、ある時点から必要以上に自分をよく見せようと思わなくなりました。他人からどう見られるかをあまり気にしなくなったんです。今でも、自分の格好はある一定水準以上なら問題ないと思っています。『~であるべき』『~な自分でなければならない』というある種の強迫観念のようなものが消え、最終的にどんな自分でも受け入れられ、許せるようになりました」
僕は今でも先輩に感謝している。そんな想いを込めて続けた。
「そして、先輩に釣りに連れていったことがきっかけで、内面から心を満たすコトを何となく覚えていったんです。あれからしばらくは釣りにハマりましたよ。それからというもの、僕の中で物欲を満たす行動の優先順位が下がりました。物欲以外の他のことでも自分を満たせることに気づきました」
すらすらと出てくる自分の言葉で、心のモヤモヤが晴れていく。
「そこまで変わることができたんだね。かつてのキミからは想像できないね。いやあ驚いたよ。それでも欲しいと感じることがあったときはどうしてたの? 絶対に一度はあったでしょ? 」
「もちろん、ありましたよ。そんなときは物欲がわいてきても、行動に移さないことにしてました。今までは物欲が抑えきれずに、すぐ買っちゃってましたからね。これを何回も繰り返していくうちに、自然と物欲がなくなったんです。それに加えて、モノを見たときに考える習慣を作ったんです。どんな時に使うのか。目的は。既に所有しているものでとって変わるものはないのか。同じようなものはないのか。価格と見合っているのか。とにかく、欲しい気持ち以上に考える癖をつけました。この2つで、欲しいと思っても軽く受け流せるようになりました」
そう、僕の中の物欲という猛獣はもはや手名付けられ、可愛らしいペットとなったのだ。
今は「ハウス! 」と言えば、小さな小屋に素直に入ってくれる。
「わお、そんな感じだったらもう心配ないね」
「はい、先輩には色々お世話になりました! ありがとうございました」
僕は先輩を見て、ニッコリと笑う。
「キミの話を聞いて、ホッとしたから安心して展示会に取り組めるわ。さあ、仕事仕事!」
「そうですね! 新商品の注文をたくさん頂きましょ! 」
僕たちはスポットライトのあたるホールへと歩いていく。
僕に迷いはもうない。サラバ! 物欲。
ホールの中では、真新しい服たちがこれ見よがしに輝きを放っていた。
僕が本当に欲しいモノ
僕は目を覚まし、身体をぐっと起こした。
鳥のさえずりがかすかに聞こえてくる。僕は眠気眼のまま、ゆっくりとノートに手を伸ばした。
物欲の支配からすっかり解放された僕は、ここ最近ずっと考えていることがある。
「本当に自分を満たしてくれるものは何なのか」と自問を繰り返し、自分の人生を豊かにしてくれる方法を探しているところだ。
どうしたら楽しいか。どうしたら嬉しいか、どうしたら自分が喜ぶのか……今日もノートに書き出してみる。そして何日も何日もかけて、たくさんのことを試行錯誤しながら試してみた。僕の中の乾いたコップを、いっぱいに満たせるものは何なのか。僕はモノという自分の外に向いた意識を自分の中に戻し、本当に欲しいモノを追及した。
***
探し続けること数年。僕がたどり着いた場所は、創作の楽しさだった。作られたモノを買うのではなく、自らの手で作る。自分の心を満たすことができるのはこんなに単純なコトだったのだ。
昔からモノ造りに興味があってメーカーに就職したのに、すっかり忘れていた。灯台下暗しとはまさにこのことだろう。
ぼくは何もない真っ新なフィールドから、モノを作り出す楽しさに目覚めたのだ。その楽しさとは何にも代えがたく、一度心に火がつくともう止まらない。やらずにはいられない。僕は何かに取りつかれたように作品を生み出し続けた。楽しい。これが、楽しいと。
感情のおもむくままに創作に取り組み続けると、僕の心のコップはみるみるうちに満たされていった。その速度、満足度は物欲の比ではない。やがて満足はコップからあふれかえり、全身の隅々まで行き渡っていく。僕は「ライフワーク」という宝物を見つけたのだ。
そして、物欲は他のモノにすり替わり、お金の使い道もすっかり変わった。先ほどの創作に使うこともそうだが、モノに使っていたお金を、自分がもっと幸せになる方法に使うことができるようになった。たとえば、最近の幸せな1日の過ごし方はこうだ。
朝から温泉目指してひたすらランニング。温泉に入って心とカラダの疲れを癒す。昼食には大好きなカレーを食べる。その後は図書館でひたすら執筆。小腹が減ったらアイスを食べる。これだけでやっても、1日たったの2000円ですごせることに気づいた。
モノなんて必要ない。物欲も何も存在しない世界。この幸せ、一度味わえばまたやりたくなる。自分を喜ばせる習慣を見つけられれば、幸せの超好循環に入ることができるのだ。
それに大金をはたいてモノを買うくらいなら、家族でおいしいご飯を食べたほうが楽しい。家族が喜ぶ選択をしたり、自己投資をしたほうがよっぽどいいとも思えるようになった。
物欲とおサラバしてからは、自分自身は大きな変化を遂げたのだ。
***
今はとあるモールに来ている。
思い返せば、ここは新入社員のときに先輩に連れてきてもらった場所だ。
僕は二階へあがると、ふらっと近くにあったスニーカーショップに入ってみた。スニーカーショップ特有のゴムの臭いが体全体を包み込み、気持ちが高揚してくる。目に付いたスニーカーを何足も手に取ってみると、
「おお、カッコイイな、これイイな」
と思う瞬間があり、僕の心をくすぐる。でも大丈夫。
それは、「欲しい」という物欲をかきたてるモノではなく、「スニーカーが好きだ」という気持ちが踊っているだけ。
つまり、スニーカーが好きという気持ちは、別に手に入れなくても満たされることにも最近気づくことができたのだ。
こんなことを言うと変人扱いされるかもしれないが、靴をいじることも好きだ。特に、サッカーをしている息子たちのスパイクの泥を取ることは全く苦に思わない。靴の形をしているモノが好きだからだ。
誤解がないように言っておく。僕は、モノが嫌いになったわけではない。好きだというモノでも、所有しなくても満足できるようになったのだ。
そんなことを頭に思い描きつつ、僕は自分が納得いくまで店内をゆっくり一周して、店を出た。
少し歩いていくと、かつて訪れた自社の直営店のブランドサインが見えてくる。あの時と全く同じ光景だ。今日はひとりだけどね……せっかくだからちょっと顔をだそうか。僕は店へと一歩一歩近づいていった。
僕は店の前までいくと、目が合ったスタッフに声をかける。
「おつかれさまです」
今日の訪問は昼間。お客さんがいるため、控えめに挨拶をした。
「あ、おつかれさまです。店長いるので呼んできますね」
「ありがとうございます」
僕は店内を改めて見まわした。平日だというのに、にぎわっている。
本当に有りがたい話だ。僕もお客さんにまぎれて、商品を手に取って見ていった。
すると、店長がやってくる。
「あら、久しぶり! 遊びに来てくれたのね! 元気だった? 」
「はい、おかげさまで。店長は戻ってこられたんですね! 」
「そうなのよ、色んな店に行かされたんだけど結局ここに落ちついたの」
僕が新入社員から何回も転勤したように、店長もグルグルと色々な店舗に異動したらしい。今日ここで会えたのも、何か運命めいたものを感じた。
「じゃあ、ゆっくり見ていってね」
店長はそういうと、忙しそうに持ち場へ駆け足で戻っていった。
店長の言うとおり、久々に商品の吟味でもするか。僕はさきほどと同じように、店内を一周していく。
すると、人の流れが集中している場所にあるTシャツがかけられていた。
このTシャツはブランドのアイデンティティでもあり、不朽の名作である。さりげなく控えめなロゴデザインのシンプルさに加えて、肌ざわりもよく肉厚でハリとコシの素材も人気の秘密だ。
僕はそのTシャツの吸引力にひかれるように、ラックに手を伸ばす。デザイン・素材・サイズ・値段など申し分ない。
「確かにいいかも……商品としてはね」
僕は苦笑いを噛みつぶす。
「欲しい商品がないなんて……メーカー失格かもな、ぼくは」
小さな声でつぶやきながら、Tシャツをそっと戻した。
僕は忙しそうに立ち回る店長に軽く会釈をして、店を出る。
でもさ……僕は心の中で続けた。この年になってようやく見つけることができたんだ。本当に欲しかったモノは、自分を喜ばせること、楽しませること。そして、改めて思う。
物欲を手放せば、幸せに近づける。とてもシンプルなことだった。
僕は行きかう人の波を抜けながら、カフェへと向かう。
さあ、そろそろ僕の中のコップも満たしてあげないとな……
モノを買うより、モノを作る。
燃えさかる炎は、今日も僕を突き動かす。
あの日の化け物のように……
終わり。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。