物不足
92歳の母は一人暮らし、自由気ままを謳歌している。しかし、老いは進む。一人暮らしを続けたいなら、元気なうちに準備すべきだ。実家のリフォームに着手した。
本格的なリフォームは1985年、私が結婚して実家を出てから初めてだ。ガスコンロと給湯器は交換してきたが、、台所も風呂もトイレも寝室も、基本的に当時のままだ。しかも、思い出の品が多数占拠している。客観的には正直ゴミ屋敷に近い。
定期的に実家を訪れても、せいぜい電球を取り換える程度。リフォームの話を切り出しても「いずれ」で逃げられてきた。まな板で足の指にひびが入った母を見て、介護の準備を真剣に考えることにした。
いまの実家は我家から4キロ。転倒や入院で介護が始まる前に数分で行ける近所に移ってもらおう。近所のアパートを探した。空き部屋は結構あったが、92歳の一人暮らしと言うと不動産屋はうろたえた。高齢独居は大家が受け入れない。
老人ホームにも連れて行った。知り合いが入居しているところだ。施設や介護の内情も分かっている。しかし、風呂が週2回では嫌だと言い出した。決められた食事も嫌だ。持ち込める荷物が少ない。何より気が合う話し相手が見つかるか。
四十年暮らした場所に固執する気持ちは、分からないわけではない。ただ、リフォームすることが絶対条件だ。特に、大好きなお風呂は、私でも入るのが困難な状態だ。脱衣場というより倉庫になっているからだ。
妻と説得し、ようやくリフォームを受け入れてくれた。すぐさま工務店を呼んで風呂と台所とトイレを下見してもらった。
台所の給湯器を見て工務店の第一声は「あきらめてください」だった。「トイレも勘弁してください。物がいつ入るかわからない」のだそうだ。続いて「風呂釜も難しい」という。オリンピックも終わり、コロナで経済が停滞している。物が足りないなど、想像もしていなかった。
ステイホームになり、ネットで物を買うことが増えた。夜な夜な簡単にショッピングができる。極楽のような環境だ。ところが、給湯器や風呂釜を製造している国でもコロナは猛威をふるっていた。輸送も困難なっている。急速に経済が回復している国へ物が優先して流れていく。92歳の老婆が使う小さな風呂釜すら在庫がないらしい。
ネットで自由に物が買えるというのは幻想だった。なぜなら、ネットショッピングには基本的に在庫のある商品しか掲載されていない。数日で配達できるものだけを私は買っていたのだ。ところが、本当に必要な物を買おうとすると、それは他でも本当に必要だった。
会議の合間に実家に通い、業者との打ち合わせや片付けをしている。時間が惜しいのでタクシーを使う。運転手に「風呂釜がないんですって」と愚痴をこぼした。
すると、ある運転手が「そうなんですよ、シマノのブレーキが無いんですよ」と言う。自転車通勤に切り替えることにした。自家用車を売却したので、ちょっといい自転車を注文した。ところが、シマノが世界的に品不足で半年待ちだという。
自転車通勤の需要が世界的に高まっている。健康のため、かっこいい自転車で通勤しようというのだ。映画「自転車泥棒」の時代とは事情が違う。どこのフレーム、どこのタイヤ、どこのブレーキ、オーダーメイドで組み立てる。以前は趣味の世界だったものが、コロナでユーザ層が拡大した。日本のメーカの部品であっても日本で手に入らない。グローバル化に成功したシマノだからこそのジレンマである。
物がない戦争を経験し、高度経済成長期はひたすら働き、平均寿命を突破して、介護の準備をしようというときになって、基本的な物が手に入らないとは。皮肉である。
手に入るうちに、近く必要になるであろう物を買っておこう。介護用ベッド、テレビ、冷蔵庫などなど、次々ネットで注文し、配達に合わせて実家にタクシーを飛ばす毎日である。
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