曰く付きのバイクを買った話
物に魂は宿ると思いますか?
付喪神という言葉があります。
古い道具に霊魂や精霊が宿った物を示します。
八百万の神という概念のある日本らしい発想だと思います。この大量生産、大量消費の世の中ですから、本当に実在するのであれば八百万どころか八千万くらいの神が存在しそうです。
私はそこまで熱心に霊魂やそういったオカルトの類について調べた事は無いので、そういう概念がある程度の知識ですが、確かに今までの人生を振り返れば物に魂が宿ったのかも知れないという出来事がありました。
祖父が長年愛用していた軽トラックの話なのです。祖父は畑仕事から地元の寄合、趣味の競馬まで全てその軽トラックで移動していました。
年式も古くエンジンをかければ異音が鳴り響き、というか祖父以外が動かそうとエンジンをかけようとすると全く始動しなかったり、自動車整備士の方も『もういつ壊れてもおかしく無いのに…』という状態で少なからず5年間くらいは乗り続けていました。
そんな祖父が体調を崩して入院すると、いよいよその軽トラックもうんともすんとも言わなくなるという出来事があったのです。
スーパーメカニックが隅から隅まで見れば“ここがダメだからエンジンがかからない”と故障追及も出来そうですが、そういう現象を側から見ていれば、軽トラックに魂が宿ったと言っても過言ではありませんでした。
そして無事に退院した祖父が、退院祝いにそんな状態の軽トラックをあっさりと廃車にしたのも客観的に見れば至極当たり前の事ですが、身内からしたらなんとも言えない複雑な心境だったのを覚えています。
こういった付喪神の様な物を近くで見ていたので、本当にそういう神が実在しうるのかというのはさておき、あってもおかしくは無いと私は思います。
そんな私に数年前に親戚筋の方からオートバイを買わないかと連絡が舞い込んだのです。
既に私は当時400ccのオートバイを所有していましたが、ナンバーを付ける付けないは別として手元に置いておくだけでも良いやと思い、半ば飛びつくような形で話を聞きに伺う事としました。
オートバイのオーナーがその親戚の旦那様だったのは知っており、1年前に若くして病に倒れて亡くなったのは存じ上げていました。私も数回程度しか会った事が無く、乗り物好きだった記憶はあったのですが、バイクの免許を取得していたというのは正直初耳でした。
亡くなった旦那様の遺品整理もひと段落ついて、いよいよオートバイをどうするかとなり、周囲の方に聞いても誰も要らないとの回答だったようで、私の実家とも交流の深い旦那様の奥様経由で、私がバイクの免許を取得しているというのを知り、連絡をしたとの事のようです。
亡くなったオーナーの両親は、オートバイには全く詳しくなく私に対しても事前情報はほとんどありませんでした。
旦那様は大層そのオートバイを気に入っており、田んぼのパトロールや花見にも使われていたとの話だったので、てっきり私はスーパーカブだとか250cc辺りの山バイクだとかその辺の"日常の足"として利用しやすい車種を想像していました。
現実は全く想像もつかない数奇な運命、因縁を含んだ出会いとなりました。
そのオートバイを引き取ったのは小雨が降る6月半ばの事でした。
タダでオートバイを受け取る訳にもいきませんので、若旦那様が亡くなった時、私が仕事の都合が悪く葬儀に参列出来なかったので、香典と言ったら全く期間を過ぎましたが数万円を包み、実家から軽トラを借りてオートバイの引き取りに伺う事にしました。
どんなオートバイなのかと少しばかりワクワクしながら軽トラを3時間ばかり走らせようやく親戚宅に着いたのです。
親戚筋の方の住まいも私の実家と同様に、本当にここに人が住んでいるのか、というような山間部にあります。旦那様の両親に軽い挨拶と近況報告をし、『オートバイを貰いますよ』と仏様を拝みました。
オートバイの保管場所は、邸宅から少し離れた納屋に保管されているようで、旦那様の両親に案内されいよいよ対面する時が来たのです。
邸宅から歩いて3分程の、畦道を行くと農機具なんかを保管する用途古い木造トタン屋根のプレハブ小屋程度の大きさの納屋がありました。
『ここに保管してますので、どうぞ引き取って下さい』
と、亡くなった旦那様の両親は私に言いました。
入り口の高さ2mほどある、木の両扉を開けると、そこにはソレがいました。
黒いRZ250です。
私もバイクにそんなに博識な訳ではありません。それでもRZ250という車種が、バイク史に残る名車というのは知っていました。
このRZ250というオートバイが、どんなオートバイなのかという話をすると、noteがいつまでも終わらないので、割愛させていただきますが、おおよそ安易に譲り受けるような車種では無いのは確かです。
スーパーカブや山バイクを想像していた私は全身の毛が逆立つような、冷や汗をかいたようや、そんな感覚を覚えました。とんでも無い物が来たぞ、と。
『良いんですか…?本当に』
私がご遺族に念押ししましたが
『どうぞどうぞ、ここにあったって仕方ありませんから』
と、まるで不要家電を渡す位の感覚の返事が返ってきました。私は思わずこのオートバイの価値を説明してしまいましたが、向こうの考えは揺るぐ事無く、そういう車種なら尚更知っている人間に渡って欲しいと言うのです。
こうして私の手元にRZ250が渡りました。
RZ250を手で押して畦道を降ります。
若旦那様が亡くなってからは全くエンジンも始動していなかったそうで、車体には埃やら土やら虫の糞やら蜘蛛の巣がこれでもかと言う程に振りかかっていました。
しかし、ダメ元でエンジンをかけてみたい。私はその思いに駆られて親戚の邸宅の庭で始動を試みる事にしたのです。
固くなった燃料コックを動かしてキャブレター内に燃料を送ります。RZ250のキャブレターは構造上、燃料コックをONの位置にし続けると燃料がキャブレターから漏れ出します。逆に言えばこれで燃料が漏れなければ、燃料の回路やキャブレター内に問題が発生しているという判断材料にも繋がります。
燃料が漏れ出しました。燃料の回路には不都合は無さそうです。
いざキック始動をします。
少し抵抗があるキックペダルを一気に踏み込みます。
エンジンが当たり前のようにかかりました。
とんでもない物が来たぞ。と、1回目を遥かに凌ぐ冷や汗をかいたのを私は未だに覚えています。
譲り受けたその日の内に、軽トラでRZ250を実家へと運びました。
真っ先にRZ250に反応したのは、祖母でした。
どうも甥の乗っていたバイクに似ているとの事。
黒いバイクなんて何台でもあるので、私は気に留めなかったのですが、祖母が持ってきた写真を見て私は三度冷や汗をかきます。
見慣れない若い青年の横には黒いRZ250が写っていたのです。
ただし、祖母曰くこの写真に写る甥はRZ250の横で心臓発作を起こして20歳やその辺で亡くなったとも言われました。
RZ250自体はベストセラーバイクなので、黒いRZ250をたまたま親戚の叔父と、祖母の甥が乗っていた珍しい事があるんだなと、その程度に捉えていました。
後日、名義変更の手続きのために、亡くなった旦那様の奥様の自宅へ伺いました。
黒いオートバイを譲り受けた話と、祖母の甥が同じ黒いRZ250に乗っていた話をしました。すると奥様は、そのRZ250は祖母の甥が乗っていたものだと呆気無く衝撃の事実を私に伝えてきたのです。どうやら奥様は祖母の甥と面識があるようです。
亡くなった旦那様の奥様の話を元に、歴史を紐解いて行きます。
まず祖母の甥が黒いRZ250を購入し、私の実家の納屋をガレージ代わりに利用していたようです。しかし、RZ250は始動性が悪くかなりキックをしないとエンジンがかからなかったようです。
その日もRZ250に乗るべく私の実家を訪れた祖母の甥が、亡くなった旦那様の奥様に挨拶をして納屋に行きました。一向に納屋から出ないのが気になった奥様が納屋に様子を見に行くと、RZ250の横で事切れた祖母の甥を見つけたとの事です。購入して1年も経っていなかった気がすると奥様は話してくれました。
その後、祖母の甥の家族が形見としてRZ250を手元に保管していましたが、他の家族が乗ったりする事は無かったようです。
数十年後、亡くなった旦那様が奥様から話を聞いて、それは勿体無いと言い、祖母の甥の家族に売ってくれないかと話をしてそちらに渡った次第だったようです。
こうして旦那様は知り合いのバイク屋に依頼し走れるように仕立ててもらったのですが、すぐに病に倒れ帰らぬ人となってしまったのです。これもまたRZ250のオーナーになってから1年も経っていない話との事です。
そうして、その"歴代オーナーが1年以内に亡くなっている黒いRZ250"は私の手に渡りました。黒いRZ250は数十年の時を経て、ガレージ代わりに使われてきた私の実家に里帰りしてきたのです。
これまでの話を聞いて、それでも名義変更をするかと奥様から聞かれましたが、そういった輪廻や曰くよりも、この私の家の一族でしか回っていないRZ250に乗りたいという気持ちの方が強かったので、正式に私の所有する事になりました。
1年も放置されていたオートバイですから、念の為に何か不具合が起きていないかバイク屋にも出しましたが、こんなに調子の良いRZ250は初めて見た、一体どこで面倒見て貰ったんだと店主に逆に聞かれてしまう程に絶好調でした。
余談ですが、後日このRZ250はどこでメンテナンスをしていたのかと亡くなった旦那様の両親に聞いたのですが、確かに近所にバイク屋があってそこに出していたが、その店主が急逝してしまい店は畳んでしまったとの話でした。
私の実家にそして私の手元に、やってきた黒いRZ250は、初代オーナーである祖母の甥、2代目オーナーである親戚の旦那様と、旦那様がメンテナンスを依頼していたバイク店の店主という3人の関係者が既に亡くなっているオートバイなのです。
全ての物語が繋がったのを感じた瞬間に背筋に冷たい感触が走ったのを覚えています。
そうして私がオーナーになって2年の月日が経ちました。
私はまだ存命です。
RZ250も相変わらず絶好調です。
原付に毛が生えたような排気音と、5500rpmから一気に吹け上がる麻薬の様な快感を私に提供してくれます。
付喪神、曰く付き、そんな話があってもおかしくは無いと私は思っています。
私が存命なのもRZ250に憑いた神の気まぐれなのかも知れません。
何も無い事に何かを見出すのが人間の性です。
これが私の所有しているRZ250というオートバイの数奇な歴史です。
私がもし急逝したのなら、このRZ250は絶対に捨ててくれと周囲には話しています。そしてこのnoteはこの輪廻を私の代で終わらせる為の活動の一環でもあるのです。
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