(没)writing
読書感想文なんて本を読まない児童に本への嫌悪感を促すだけの効果の宿題、というのは小学四年生の時のぼくの言である。
当時はあの活字の羅列された紙束を見るたびに肌が粟立った。よくもあんな醜悪な代物がこの世にのさばっているものだと、見るたび胸がムカついた。
変化が訪れたのは中学生に上がった時のこと。授業で800字で小説を書けという国語教師のお達しに殺意を覚えながら鉛筆の先を尖らせていたぼくに、他の同級生より一足先に書き上げた隣の山田が自作を披露してきた。
そんなものを見せるな、と破り捨てたかったけど、世間体を気にして嫌々閲読した。その時は、たくさん文字を書けてえらいでちゅね〜、というクソな感想でも送ってやろうと思っていた。
むちゃくちゃに面白かった。
何が?と問われても知らん。
話といっても大したものではなく、本嫌いの少年が学校の隣人に800字の物語を読まされて自身も小説を書こうと奮起する、というぼくに対する当てつけである。
けれどもこれまで毛嫌いしてきた文章がすらすら頭に吸い込まれていく感覚に、えもいわれぬ快感を覚えたこともまた事実。これは少しもわからなかった数学の問題が何かの弾みで理解できた時の感覚に似ていた。これまで理解を阻んできたものが取り払われる解放感。
すばらしい、と思った。そして自分も書こうと決意した。
─
十年後……
サラジア/ゾルディニスタン間国境から西五十キロ地点──サラジア領オッカム基地。
往々にして、戦乱の火種というのは貧困によってもたらされる。
神に見捨てられし地、と揶揄されるように、岩と砂と山、そして近年空爆によって堆積した夥しい瓦礫が、貧乏国家ゾルディニスタンの名物だった。
この戦争は貧乏国家が利権を求めて国境線を越え、金持ち国家に喧嘩を売るという、世界中でありふれた構図をそっくりそのまま受け継いでいる……
焚火を前に、ぼくは茶けた紙切れと折れた鉛筆を手にそんなことを記していた。