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【電子版】入院中手記 冒頭

はじめに

2024年2月5日(月)から2月20日(火)の15日間、脳出血により地元の大学病院に入院した21歳大学生。入院中に特にやることがなく、当たり障りのない文章を綴った「手記」を、なるべく読みやすい状態に編集してここに記します。実在する人物名、団体名など、一部改変しております。

2月6日(火) 雪・くもり

入院した。

2/3正午、いつも通り京都のアパートにて、ホットサンド片手にベランダでコーヒーを飲みながらタバコを一服。
少し前にNetflixでハンターハンターを見終えたため最近は進撃の巨人のアニメを見ていた。ちょうど女王になったヒストリアが、おそるおそるリヴァイを殴るシーンだったと思う。右目の奥、右のこめかみ、右の頭頂部に痛みが走った。不安と焦りで、大学1年の秋頃の「過換気症候群」がよぎった。母に電話しカロナールを飲み、ベッドで横になった。2時間後、左半身が痺れてくるのがわかった。唇や舌が痺れ、119番に連絡し、結局、ろくに聞き取れないしゃがれ声の、明らかにイライラしているお爺さんが運転するタクシーで京都の病院へ向かった。診察はすぐに終わり、「メンタル・精神異常」と診断され、心療内科、メンタルクリニックの紹介状を書いてもらった。あと痛み止め、吐き気止めの薬。帰りのタクシーは行きほど粗悪ではなかったが、このタクシー会社の運転手は高齢というか、老人というか、お爺さんしかいないため、アプリでタクシーを呼べるTAXI GOの使い方を知らないし、何を話しているのかも聞き取れない。命からがらアパートに帰った。吐き気はあるものの、ちょうどこの日に到着した実家からの仕送りのバナナ、キウイを食べ、薬を飲んで眠りについた。

2/4の15時、サークルの先輩からスマブラの誘いのラインが来ていた。薬の効果で痛みが和らいでいたため、スマブラに行くか迷っていたのは、15時から6時間かけて実家の山形に帰るのも億劫だったからである。結局自分では決められず、AIスピーカーの「アレクサ」に決めてもらうことにした。「アレクサ、1〜1000で1つ数字を選んで。」奇数ならスマブラ、偶数なら帰省と考えていた。結果は「366」。すぐに準備に取り掛かった。近くに住む大親友の岡ちゃんに、食べきれない仕送りのバナナ、キウイ、冷蔵庫に入っていた卵、牛乳を渡し、最寄駅へ向かった。途中、駅前のやよい軒にて、野菜炒め定食、白飯2杯をかき込み、京都駅へ向かった。JR東海が誇る東海道新幹線は、のぞみ、ひかりを合わせると5分おきに乗車できる。体感、京都の市営地下鉄よりも新幹線のほうが本数が多い。しかし、ここからが地獄の始まりだった。「山形新幹線は1時間に1本だ」ということを忘れていたのである。東京駅の騒音の中、ICから紙の切符への乗り換えは窓口でのみ取り扱っていて、30人以上の列。お土産販売員の甲高い声が頭に響く。後にも先にも、東京駅での頭痛が最も強かった。痛みのレベルは100を超え、1000にも達した。なにもせずとも、痛みにより自然と涙が溢れ出た。この時、一番上の、7つ離れた姉と電話をしていなかったら、メンタルは崩壊し、東京駅で倒れていたかもしれない。姉の声は誰よりも落ち着く声である。

21:57、山形駅着。母の運転で実家に帰り、まず風呂に入った。せいろに入った蒸し豚のシソと大根巻き、細切りの昆布の煮物、ホタテの炊き込みご飯、みりん干しの魚、五月菜とお麩の汁という、遅めの夕飯をとった。

2/5昼、ゆっくり起きて午後から眼科に行った。頭も痛いが、「もしかしたら目の奥に炎症が起きているのではないか」と、独断で眼科に連れて行ってもらった。異常なし。このとき、待合室で「chocoZAP」に入会した。母と、「どうせ偏頭痛だから、運動不足を解消するために明日にでもchocoZAPで歩きにいこう」と話していたからだ。眼科の先生からは「本当に心配だったら、T先生っていう神経系に詳しい先生がいるから、心配なら行ってみたらいいと思う」と言われ、半ば興味本位でそのまま脳神経外科に行った。すぐにMRIを撮った。僕はMRIの閉鎖空間が苦手なのでいつも、「ガンガンガン」という音のリズムに合わせて、心の中で歌を歌うようにしている。BPMが早いので、HIPHOPが合う。今回は空音feat.kojikojiの「Hug」と、くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」と、tofubeatsの「水星」を携え、いざMRI。僕が空で歌えるジャパニーズラップは、コロナ禍初期に流行ったこんなもんだった。検査終了と思いきや放射線技師のような女性から「そのまま動かないでください。追加でもう5分撮ります。」と告げられた。その場で「所見あり」と伝えられたが、馴染みのない言葉に困惑した。「所見ありです。成人ですが、大学生ですので、ご両親を呼ぶことはできますか?到着次第、診断をします。」お母さんを待った。診察室でT院長から「脳に出血があります。紹介状を書くので、今すぐ医学部の附属病院に入院してください。では紹介状を書きます。」と。大学病院に到着するなり血液検査、胸部レントゲン、CT、MRIと18時ごろから23時ごろまで検査は続いた。造影剤は苦くて、アツかった。点滴から投与してるのに苦味を感じるの、すごい。60分間のMRIは流石にしんどかった。ここで、MRIの機械の音が、星野源の「SUN」のイントロと同じような音だと気がついた。60分「SUN」だけでやり切った。看護師のMさん、脳外科のYさん、ありがとう。

2/6、やっと今日に追いついた。2月6日(火)。朝からCTと血液検査。依然として一人でトイレに行かせてもらえない。そしてリハビリが始まった。S先生。両手を前に出して目を瞑って10秒キープ。左手だけ下がってきちゃった。やっぱり100%の運動機能ではないみたい。そして、丸1日ぶりのご飯が解禁されました!鶏のトマト煮、ほうれん草ともやしのおひたし、昆布、味噌汁、米。うますぎうますぎ!!あとは現状のツイートをした。みんなありがとう。生きています。生きていきます。連絡をくれたみんな、BIG LOVEです。


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