「だから僕は音楽を辞めた」と僕の創作
先日「だから僕は音楽を辞めた」という楽曲に出会い、自分の心を覗き込んだかのような歌詞に感動した。その歌詞には僕も抱える葛藤や苦しみがなんとも美しい言い回しによって表されていた。この感動をなんとかアウトプットしたい!と意気込んだが、世の中にはすでに素晴らしい考察や解説が出回っている。そこで自分自身の創作に対する考えを軸に据え、歌詞の引用を交えつつ自分の話をメインに文章を書こうと考えた。だから楽曲についてこのノートを読むことで新たな発見はないだろう。冴木、という人間の変な形式の自己紹介と思って読んでほしい。
※このnoteでは「だから僕は音楽を辞めた」をヨルシカのコンセプトアルバムとしてではなく、書いてある歌詞そのままの通りに受け止めて引用します。
1) 僕の創作の現状
僕は創作をしている。短編小説やショートショートといった短文を書いては捨て書いては捨て、気に入ったものを公開している。ほとんど見られていない。が、十数人も自分そのものをぶつけた文章を読んでくれている人がいることを嬉しく思う。
2)なぜ創作をはじめたのか
僕がなぜ創作をはじめたのか、それに明確なきっかけはない。2年くらい前だろうか、夜眠れない日が続き、暇していた時に始めたんだと思う。もともと僕は本が読むのが好きで、作文を書くことも苦と感じたことはなかった。思春期のやり場のない感情を吐き出すには、文章はこの上ないツールだった。
3)悩みと不安
「ねぇ、これからどうなるんだろうね 進め方わからないんだよ」
1番冒頭に綴られた歌詞。「どうなるんだろう」という曖昧で受動的な印象を受ける表現の主語は「将来」だろう。「ねぇ」と問いかけのようなのも他人事のような雰囲気を醸している。僕にはこの歌詞は、将来の不安を感じるけど危機感は湧かず、ぼんやりとした不安を抱えているという印象を感じた。では将来の不安とはなんだろうか。受験、就職、恋愛、死など将来の考えたときに不安になるような事は山ほどある。その中でも今回取り上げたいのは「自信の核である創作を捨てられるのか」だ。これは僕が抱える、そしてこの曲の主人公も抱え、押しつぶされてしまったであろう不安だ。僕にとって創作とは自分のエゴの塊であり、自分が普通と一線を画す人間である最終防衛ラインだ。創作をすることは自分の世界を持つことと言える。でもそんな創作を捨てなければいけない時がある。それは受験や仕事など物理的な理由もあるだろうし、自分の世界が枯れてしまうという精神的な理由もあるだろう。また、同じジャンルの創作者の作品に打ちのめされて心が折れてしまうこともあるかもしれない。いずれにせよ辞めるという決断はすぐそばにあり、もがき苦しむ途中では甘味的に映る。
4)渇望と未練
「辞めたはずのピアノ 机を叩く癖が抜けない」
「音楽はしてないといいね 困らないでよ」
この曲の主人公は一度ピアノを辞めたのだろう。「音楽はしてないといいね」といいつつも未練がありそう。創作をし続ける不安から解放されたものの、今度は創作で解消していた不安にぶつかっていると言う具合だろうか。
僕も文章を書くことが楽しめず面倒になって書かない時期もある。でもしばらく文章を書かないと、孤独さ、寂しさに耐えきれずまた筆を取ることになる。
楽曲に話を戻すと、1番は音楽について、2番は音楽をやめたことについての歌詞のように感じた。
(音楽をすることは)「思い出すな」「間違ってるんだよ」 1番より
(普通に生きることは)「間違っていない」「どうでもいい」 2番より
と言っているように聞こえる。音楽をすることは間違っていて、取るべきではない選択なのにどこか心で求めてる。心の中に線を引いてもどうしても消えなかったのだ。ではなぜそこまで音楽に対する思いを抱えながら、彼は音楽を辞めることにしたのだろうか。
5)大人になる
「僕だって信念があった
売れることこそがどうでもよかったんだ
昔はそうだった
だから僕は音楽を辞めた」
楽曲最後の歌詞の抜粋だ。「昔は売れることはどうでもよかったが、今では売れることこそが大事だから音楽を辞めた」と要約できる。だが、この表現では真に大切なとこをを取りこぼしていると僕は考える。「売れることが大事」だから音楽を辞めたというと、売れているかを気にして売れないから音楽を辞めたという意味になる。しかし本当に楽曲中の「僕」が本当に売れることを気にし始めたのだろうか。彼は成長するうちに常識として「音楽で成功は一握りしかできない」とか、「安定しない」とか気にしたくないことを頭に刷り込まれてしまったのではないか。常識に押しつぶされて彼は、音楽という自身の核から手を話してしまったのだ。つまりこの歌詞の意味は、
「売れる売れないを考えないで音楽をやりたかったが、嫌でも考えなくてはならないようになってしまったから辞めるしかない。」だろう。
純粋に創作ができなくなるのは彼だけの問題ではない。創作者みんなに言えることだろう。さらに嫌なことに、無情な「当たり前」に屈服することを大人になる、と表現することがある。
僕はそうなってしまうことが怖い。ある日突然、自分が今まで書いてきたデータを消して、「なんてくだらないことをしてたんだ」「俺の文章なんて誰も読まないのに」なんて思ったら。大人になるのが怖くて仕方がない。
6)おわりに
苦しみながら頑張り続けるか、幸せで満ち足りた人生でありたいと思う。ただ無気力に死が訪れるのを待ちたくはないな。