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プラネタリー・アーバニゼーション

「プラネタリー・アーバニゼーション」とは、恐らく歴史的には、より普遍的であった、郊外、外郊外、田園、野生地、あるいは他の非都市地域と見なされる領域と対比される、居住空間の異なる類型として都市的なものを取り出して考えられる状況からすすんで、資本主義的な都市化は、今や地球の全表面を横断して広がる「様々な密度、厚み、活動」からなる複雑に積み重ねられた網の目としてよりよく理解できるとする考え方。つまり、非都市から生まれた都市は、非都市を押しのけて、より普遍的なものになるという思潮。
参照:ニール・ブレナー「都市革命?」
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/pdf/space21/21_115hirata_semba.pdf

 都市の将来像について、楽観的、牧歌的な「メガリージョン戦略」という発想と、悲観的、殺伐とした予感を持たせる「プラネタリー・アーバニゼーション」という発想という、ポスト・フォーディズの都市(的なもの)についての2つの考え方がある。
 特に、プラネタリー・アーバニゼーションは、SF的未来感と親和性が高く、弐瓶勉の「BLAME!」や、柞刈湯葉(いすかり・ゆば)の「横浜駅SF」のように、最早「都市」ではなく、世界が単一の建造物となってしまうというビジョンが既にエンターテインメントとして存在している。

 また、プラネタリー・アーバニゼーションは、都市の無限定な増殖で面が埋め尽くされるというよりも、非都市たる農村の消滅によって、ゲーム「デス・ストランディング」のような点としての「都市」だけが残るような形で実現するのかも知れない。むしろ、メガリージョン戦略のような「棄民志向」の延長では、こちらの可能性が高いのではなかろうか。一部のリバタリアンは、自分達のための国家から自立した海上都市国家を実際に構築しようとした例もある位である。
(「再魔術化する時代」 https://ferris.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2498&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1 )