サイレント・マイノリティーこそが「政策シンクタンク」の基盤
政策の革新、つまりは現状の資源配分を改変し、日本の閉塞感を打破するような政策の立案実現が求められている。
このためには、政策企画立案機能の解放、つまり政策の立案分野における競争環境の実現(政策企画の競争原理の導入)を必要としよう。
しかし、これまでの「○○総研」とされるような単なるリサーチ機能を担う組織では、この政策革新を望む上で心許ない。
おそらく、既存のシンクタンクとは異なる、新しい政策シンクタンクとは、
・既存の政治勢力、利益団体によって掬い上げられていないニーズに基づい
て、資源配分を変える構想力とそのニーズを組織化するノウハウ(立場)
・国の法体系に基づいて、条文化と予算化を行えるノウハウ
を兼ね備えた組織ということになるのではなかろうか。
こうった機能を備えた組織のイメージを展開すると、資源配分を変えることによってメリットを受けるプレイヤー(当該政策の直接の裨益層とはずれる可能性がある)から、資金的援助を受けつつ、研究者や元官僚等を母集団とする頭脳プールを維持管理する組織ということになる。
アナロジカルに言えば、資源配分上、政策展開上の弱者を潜在的顧客として、政策サービス実現サービスを売る職人集団というイメージである。
では、この政策職人集団の「基盤」とは具体的にどうなるのか?
そもそも、政策革新を行うためには、相当のエネルギーが必要である。
特に、現状の日本のように、閉塞感が漂い(相対的)貧困率の高さが問いただされようとしている社会では、これまで以上に多様な政策革新を試みて、閉塞感が打破されるような資源配分を実現する方策を見出すべく、既得権に相当程度切り込むことが必要となる。
そのためには、政策革新を実現させていく手法として、「変化」あるいは「変革」を望む具体的なニーズを保有している層を発掘・動員し、その運動力・機動力を政策という形に結実させるロードマップを確立する必要がある。
例えば、過去の貸金業法改正に向けたキャンペーンは、政策実現の手法論としては見るべきものがある。
判例を通じて形成された「高金利」規制によって、本来不要な過剰支払いをさせられていた多重債務者の「意思」を集約化させ、訴訟実務の積み重ねを超えて、法改正を実現するための大衆運動へと組織化することに成功した一例であろう。
と同時に、この運動は、いわゆる業界団体のような恒常的利益団体として、存在していた訳ではなく、目的達成とともに組織体としては消滅した、非常にバーチャルな組織体であった。
同様な手法で、「組織化」されつつ、政策を実現させた運動体としては、割賦販売法改正の際の運動もその例に上げることができるであろう。
これらの運動体は、その動機の純・不純はともかく、「虐げられている」とされている弱者の「意思」を集約化し、政策化(あるいは政治アジェンダ化)した。
そして、それら「弱者」を虐げていた強者から資源がその弱者に還流させる仕組みを作った。
さらに、その資金環流の流れから幾ばくかの資金を運動体の構成要素に還元させること(およびその予想)で、運動体を組織し活性化させたと評価できよう(その資金環流の行き過ぎ事例が、過払い金バブルと批判される不祥事)。
このように、資金環流、資源配分を「ある」ところから、「ない」ところに移行させる運動体が、新しい政策シンクタンクの「基盤」になっていくのだと思う。
次の課題は、では、そのような新しいシンクタンクの「身体」をどのように作り出すかということになるが、それはまた、今度。
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