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文化資本への対抗方略とは?

文化資本に基づく「闘争」に対する対抗方略として、「歴史を知れ」があり、これは納得できる。端的に言えば、これはフーコーが提唱した「脱構築」「知の考古学」によって、文化資本の価値が象徴的に受容されている状態を相対化するべしということになる。
しかし、序列化への対抗方略は、いわば複数の「界」を作ればよいといっているだけにも思える。この点で、2つ疑問がある。

①そもそも、界は、どのように生み出せるのか?
②新しい界の中で、新しい序列化が生じるのでは?

「歴史を知る」ことで、新しい界がダイナミックに生成され、序列化が繰り返し無効化され、代替性が確保され、これにより暴力性を抑制するということになる。